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 大学卒業後、国内有数の半導体メーカーに晴れて就職したものの、入社二年目にはすでに暗礁に乗り上げていた。菫が勤務するのは東京近郊の製造工場である。半導体回路設計のエンジニアとして入社したのだが、業務全体を把握するという目的で、新人エンジニアはもれなく製造工場に配属されるのが会社の方針だ。  そして、この工場勤務が実に過酷だった。何しろ社会に出て間もない新入社員がいきなり従業員を総括する立場となり、技術指導や製品の最終チェック、部品の発注業務、さらにはパート従業員からのクレーム対応まで、数限りない仕事をこなさなければならなかったからだ。  一年目は厳しい新人研修、そして仕事を覚えることに必死で、ただただ馬車馬のように走り続けていた。しかし次第に仕事に慣れ、周囲を冷静に眺められるようになってきた頃から、この会社での自分の未来がほぼ絶望的であると感じるようになった。  正社員なんだからと、当たり前のように課せられる責任だけはやたらと重い業務の数々、日付が変わる前に帰宅できることはまれで、若い社員たちは体調や心を病み、次々と辞職に追い込まれていく。そういった彼らを「近頃の若いもの」や「弱虫」と蔑み、「この数年間に耐えて初めて社員と認められるんだよ」と笑う底意地の悪い上司。まるで荒い目のふるいに掛けられるような日々に、菫自身の精神ももはや限界に達していた。  朝、疲れのとれない身体を起こそうとしても、なかなかベッドから起き上がれない。このまま休んでしまおうか、と毎日のように考える。そんな時、瞼の裏に浮かぶのは、菫が小学四年生の時、交通事故の後遺症で働けなくなった父親の代わりに昼夜を問わず必死で働き、菫を東京の大学へと進学させてくれた、郷里に住む母の顔だった。  就職先が決まったと告げたときの、嬉しそうに目を細めた、誇らしげなあの母の笑顔を思い出すたび、大声で泣き出したいような気持ちに駆られる。母の苦労を誰よりも分かっているからこそ、あの笑顔を、たった一年かそこらで悲しみに歪めさせることなど、菫にはできるはずがなかった。
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