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 覚悟を決めた、とは言いながらも、相変わらず不安定な気持ちのまま、菫はその後の日々を過ごした。仕事ではまたつまらないミスを連発して、主任からねちねちと嫌みを言われたり、中道さんからも「どうしたと? 顔色の悪かけど大丈夫ね?」と心配そうに声を掛けられたりもした。  怖いのだ。多季を好きになったことも、多季とまた会うことも。平静さを保てる自信などまるでなく、何よりも自分の挙動不審な態度が多季を幻滅させることが怖かった。  菫から多季に連絡を取ることもしなかったし、多季からの連絡もなかった。そうして、ドライブに連れて行ってくれたお礼の言葉ひとつも伝えられないままに、次のレッスンの日を迎えた。  スタジオに入って来た多季は、菫を見つめて一瞬だけ目を細めた。そして何事もなかったように微笑んで、いつもの多季に戻ってしまう。穏やかで優しく、でもすこし他人行儀な笑顔。意識して深く呼吸をするように努めてみたものの、やはりどうしても多季が気になってしまう。  レッスン中、立位で身体を横に倒し、片方の手で足首を持ち、もう片方の腕をまっすぐ上に伸ばす三角のポーズを取っている時、脚がぐらりとして倒れそうになり、とっさに両手をマットの上についた。 「お尻をしっかり引き入れて、胸を開いて」と駆け寄ってきた多季が、背後から菫の腰に両手を添え、身体を支えてくる。触れた手の温もりが、腰から瞬く間に体じゅうを駆け巡り、身体がぎゅっと強張った。触れている多季にも、きっとそれは伝わったはずだ。 「深く息をして。リラックスして」  耳に直接囁くような低音に、いやいやそれは無理です、と心の叫びをあげながら、今度こそは転ばないようにと息を詰めてポーズを取る。深い呼吸をするためのポーズなのに、これでは本末転倒だ。  その後もぜんまい人形のようにぎこちない動きを繰り返し、当然のことながらシャバーサナでも雑念だらけで、これまでになく散々なレッスンを終えた。
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