黒い切株

1/1
前へ
/5ページ
次へ

黒い切株

070f90bd-9d31-411d-8829-7948b8f031f3 4.  鉄の階段から転げ落ちた夜警には──意識があった。     生垣に懐中電灯の紐がひっかかっている。  体がバウンドして地面に落ちたのか……腰を打ったらしいが痛みを感じな い。 このまま眠り込んだら命を失う。     夜警は夢を見ていると思った。  黒犬が彼を見下ろしている。雪の中に黒い姿が彫刻のように見えた。  燃える青い光がふたつ……自分が帰って来るのを待っていたあの眼が、  自転車で帰る姿を求め、道路に出てきて、切り株のように身じろぎもしない で待っていた。    それほどまでに慕われた過去を男は知らない。  車にはねられた馬鹿さ加減に隠されて、五十年経っても……気づかなかった。  「ベア、来い」   黒犬は、振り切れるように尻尾を振って近寄ってきた。  地面にこすり付けた頭が哀れだ。     頭の悪い犬だと考えて、いつも頭をおさえつけた。道路に頭を  おしつけて、声を出してなでさわった。   犬はきっと道路におれば、ご主人が喜ぶと思ったにちがいない──そう命じられたと思ったのだ。 「ご主人様はなぜ帰ってこなかったのですか、わたしは朝まで待っていたのに……」  犬は主人の都合などわからない──言いつけを守り、暗い道路に出て  ただ待っていたのだ。  自分はなんとおろかな接し方をした……思いやりのない人間であったろうか。犬の心がわかった時、夜警の魂は昇りはじめた。   雪の構内に、黒犬が操縦する透明な飛行体がゆっくりと、下降して来た。     黒犬は、神さまの言葉にのぞみをかけていた。  五十年前、母親から自分の死を聞いてもご主人は、顔色ひとつ  変えなかった。  寿命が尽(つ)きる今、ご主人が自分を思い出してくれたら、また一緒に  暮らしたい。  自分がタイムマシーンで彼を迎いに行きます、と神さまに頼んでいた。     飛行体は夜警の体から魂を拾い上げると、塀に囲まれた広場を回転しながら、ゆっくりのぼり、方向を変えて飛び去った。                                                               ─おわり─
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加