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黒い切株
4.
鉄の階段から転げ落ちた夜警には──意識があった。
生垣に懐中電灯の紐がひっかかっている。
体がバウンドして地面に落ちたのか……腰を打ったらしいが痛みを感じな い。 このまま眠り込んだら命を失う。
夜警は夢を見ていると思った。
黒犬が彼を見下ろしている。雪の中に黒い姿が彫刻のように見えた。
燃える青い光がふたつ……自分が帰って来るのを待っていたあの眼が、
自転車で帰る姿を求め、道路に出てきて、切り株のように身じろぎもしない で待っていた。
それほどまでに慕われた過去を男は知らない。
車にはねられた馬鹿さ加減に隠されて、五十年経っても……気づかなかった。
「ベア、来い」
黒犬は、振り切れるように尻尾を振って近寄ってきた。
地面にこすり付けた頭が哀れだ。
頭の悪い犬だと考えて、いつも頭をおさえつけた。道路に頭を
おしつけて、声を出してなでさわった。
犬はきっと道路におれば、ご主人が喜ぶと思ったにちがいない──そう命じられたと思ったのだ。
「ご主人様はなぜ帰ってこなかったのですか、わたしは朝まで待っていたのに……」
犬は主人の都合などわからない──言いつけを守り、暗い道路に出て
ただ待っていたのだ。
自分はなんとおろかな接し方をした……思いやりのない人間であったろうか。犬の心がわかった時、夜警の魂は昇りはじめた。
雪の構内に、黒犬が操縦する透明な飛行体がゆっくりと、下降して来た。
黒犬は、神さまの言葉にのぞみをかけていた。
五十年前、母親から自分の死を聞いてもご主人は、顔色ひとつ
変えなかった。
寿命が尽(つ)きる今、ご主人が自分を思い出してくれたら、また一緒に
暮らしたい。
自分がタイムマシーンで彼を迎いに行きます、と神さまに頼んでいた。
飛行体は夜警の体から魂を拾い上げると、塀に囲まれた広場を回転しながら、ゆっくりのぼり、方向を変えて飛び去った。
─おわり─
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