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いつもの居心地の良い職場が、たったひとつの噂で未知のダンジョンに変わってしまったかのよう。見慣れたはずの、見慣れない景色。この廊下はこんなに薄暗いものだっただろうか。この階段はこんなに長いものだっただろうか。天井はこんなに低く、圧迫感のあるものだっただろうか。
『それ以来出るんだって。……自分と同じくらいの年頃の女の子が近付くとね……助けて、出してって扉を叩くらしいよ。助けて……こんな暗いところにもういたくない……お願いだから“代わって”って』
階段を昇る、昇る。
『気を付けてね、嘉穂ちゃん』
かしゃん、かしゃん、かしゃん。
ぱた、ぱた、ぱた、ぱた。
『女の子、嘉穂ちゃんと同じ二十九歳だったって話、だからさぁ』
自分の持つ鍵束と革靴の音が、煩くてならない。
きっと彼女の作り話だ、そうに決まっている。そう思うのに――四階が近づけば近づくほど、やけに息苦しさを感じてしまう。
なにかがそこに、いるような。そんな気になって、しまう。
――心配する必要なんかないんだから!中に入る必要なんて、ないんだから!
四階に、到着した。あとは鍵を確認するだけ。それだけしたら日直の仕事は終わりだ、誰も見ていないのだしさっさとここを離れて下に降りてしまえばいいのである。
資料室のノブを回す。鍵はかかっている。
そして問題の倉庫は、と思った時。私はぎょっとした。前に見た時には確かにかかっていたはずの、思い鎖の南京錠が――今は、無い。鍵が開いているとか壊れているとかではない、物理的に存在していないのだ。
――な、なんで?誰かが撤去したの?なんで?
いずれにせよ南京錠がないのなら、鍵が開いている可能性はある。私は恐る恐るノブに手を伸ばした。指先が触れた瞬間、ノブが凍るように冷えきっていることに気づく。
――お、お、おかしなことなんかじゃないよ。だって今は十一月だし、外もすっごく寒いし…!
誰も聞いてもいない、自分自身の心に必死で言い訳をしながらノブを回そうとした、その時だ。
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