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5.さえりとさゆり
新宿5丁目にあるそのバーは、歌舞伎町の雰囲気を少し残しながらも、四谷にあってもおかしくないような清潔さも併せ持っ不思議な空間だった。
さゆりさんに促されて、僕たちは奥にあるテーブル席に向かい合って座り、彼女はギムレットを、僕はロックでバーボンを注文した。
彼女は、何故だか上機嫌で、「姉のことはともかく、乾杯しましょうよ。」と言った。
僕は、「伴奏、お疲れ様でした。」と言いながら、相手のカクテルがこぼれないように、そっとグラスを合わせた。
「お疲れでもないけどね。」とウインクしながら、彼女は言う。
「そうなの?」
「だって、今日の人達って、静かめのシャンソンが中心だったでしょ。」
「そうだっけ。」
「聞いてなかったの?]
「ちょっとボーっとして。」
「ピアソラの『リベルタンゴ』みたいな激しいのを弾くと、それは疲れるわよ。」
「なるほど。『新カルメン』なんかは?」
「あれも大変。」と彼女は、破顔して白い歯を見せる。
その後、彼女は、暫く僕の顔をじーっと見つめていた。
それで、急に、「嫌だ、何で、いつも、私、姉と、同じ、人を、好きに、なるの。」
話した内容よりも、そのリズム感に、僕は驚いた。流石はピアニスト、全部3音で、ワルツのように単語を並べている。」
「ねぇ、聞いてるの?」
「うん?」
「寝ぼけたような人ね、あなた。私、告ってんだけど。」
「それはわかるけど。」
「誘惑しちゃおうかなぁ? 姉よりも先に。」
この直情的な言い回しに、僕はたじろいだ。さえりさんとそっくりな顔で、さゆりさんは、男を誘う。これが、さえりさん自身が豹変したんだったら、僕はそのギャップにやられて、直ぐに誘いに応じたことだろう。でも、相手は、顔は似ていても、今夜初めて出会ったわけだし。
「煮え切らない人ねぇ。私と寝るの?寝ないの?」
そう言って、彼女は、一気にギムレットを飲み干し、店員にお代わりを注文した。
「だって、知り合ったばかりだし。」と僕。
「じゃぁ、わかった。姉だと思ってセックスすればいいじゃない?」
そう言って、また、彼女は、一気に飲み干し、お代わりを注文する。
僕が、グダグダ煮え切らず、「はい。」と返事しないのに苛立って、彼女は、立て続けに5杯、ギムレットを飲み干した。
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