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ゆっくり歩いているとはいえ、そろそろ青山一丁目の交差点が見えてきた。地下鉄に乗るのなら、そこでお別れになってしまうかもしれない。僕は、焦った。何か「きっかけ」を作らないと、次に繋がらない。
でも、何て言えば。
彼女は、にっこりしながら、僕が何か気の利いたことを言うのを待っている。この微笑は、以前にも何処かで見かけたことがある。それは、自分に魅力があると確信している女性がする余裕のある表情だ。男性が自分に話をしてくれるという。
「シャンソンは、聞く派ですか? それとも?」と僕はおそるおそる尋ねた。
「歌う派かな。そんな派閥があるんだとすれば。」と返してくる。
「あぁ、良かった!同じ種族だった。」と僕。
「シュゾク? 面白い言葉使うのね。」
「わかりやすく言うと、『仲間』かな。」
うーん、いい流れかもしれない、と僕は思う。話す言葉が敬語じゃなくなってきた。概してこういう状況で僕は失敗しがちだ。
「で、先生にはついているの?」と訊いた後で、しまった!と思った。僕は、誰でも自分と同じような人たちだと思いがちだ。でも、そんな人は少ない。
案の定、「うううん。同好会のようなところに参加しているだけ。」という答え。
「どこで練習しているの?」
「近所の集会所のようなところ。恥ずかしい。詳しく説明するような、そんな。」
「そうなんだ。そういう『仲間』がいるっていうのはいいよね。」
「まあね。でも、たぶん、あなたみたいに本格的なことはやってないわ。」
いやぁ、と口に出し掛けて、どう説明しようか一瞬迷った。僕は、プロの先生に個人レッスンを受けているし、それとは別に、ヴォイス・トレーナーにも発声法も習っている。まさに、彼女の言う「本格的なこと」をやっているのだ。それをそのまま言ったらどうなるだろう、きっとこの話はここで途切れる。
それで咄嗟に、「いやぁ、本格的だなんて。知り合いのピアニストがやってるアマチュア用の歌会にときどき参加するくらいだよ。」と嘘をついた。
「そうなんだ。」と彼女は、少し安心して続ける。
「じゃぁ、『仲間』なのかも。」
語尾を曖昧にするところも、男を惹きつける女性の特徴だと思う。どんな女性なのか、それを簡単に明らかにしないから魅力があるのだ。
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