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他愛のない話は、トントン弾むものだ。
僕は、何を話そうかという意識はせずに、次々にパリの想い出を語った。彼女も話題に合わせてどんどんエピソードを披露していた。
何を話したかは、よく覚えていない。だた、二人を包むなんだか幸せな雰囲気だけが記憶に残っている。彼女の時々目を大きく開けて少し口を尖らせる仕草は、見ているだけで僕の心を揺さぶった。日頃は滅多に顔を出さない、僕の男の本性ともいうべき部分が、目つきや頬の緩みに出てしまっているのではないかと心配した。彼女のような清潔そうな女性がそうした「いやらしい」表情をどう捉えるのか、好意があることの証と受け取ってくれるタイプかどうか、まだよくわからなかった。
僕たちは、あっという間に外苑前の駅を通り過ぎ、表参道とのT字交差点に差し掛かった。もっとずっと真っ直ぐ歩き続けたかったが、礼儀として訊かないといけないタイミングになった。
「あの、僕、ここで曲がって、原宿駅まで行くんだけど、君は?」と尋ねた。
「あっ、私、千代田線だから、ここから乗ってもいいんだけど。」
うん、この含みのある言い方は、「もう少し話してもいい」っていうサインかも。
「日暮れにはまだあるので、もう少し歩きませんか?」と提案する。
「そうね。」と彼女は小さな銀のブレスレットのような腕時計を見て、「でも、もう行かないと。」と言って、顔を曇らせた。
「そう。」と、そっけない返事とは裏腹に、僕は、あからさまに残念そうな表情をしていたに違いない。
「そうそう、忘れないうちに。」
「うん?」
「あなたの住所教えて。さっき言ってた歌詞カード送るから。」
「あぁ、ありがとう。」と言って、僕は名刺を渡した。
彼女は、名刺自体を初めて見るかのように、「ふーん。」と唸りながら眺め回してから、鷹揚に微笑んで、「あなた、作家なの?」と不思議がる。
「まぁ、作家なんだけど、それだけじゃ生きていけないので、他のこともしてる。」
「居酒屋店員とか?」
僕は、その突拍子もない例えに思わずプッと吹き出してしまった。
「そう見える?」
「法被姿が似合いそう。」とケラケラ笑うので、僕はわざとムッとした。
「翻訳だとか、フランス語の講師とかだけど。」
「なるほどね。」
楽しい会話は、ここで終わりを迎えた。
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