傘を君に

1/5
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
昔、こんな噂を耳にした。雨の日の傘探し。 彼女は雨の日に現れる。叫ぶような豪雨ではダメだ。儚く上品な霧雨ではダメだ。空が世界の貧困やら差別やらに心を痛めて、気づかぬうちに流す涙のような雨の日でなければならない。 彼女が死んだのは、まさにそんな日だったからだ。 彼女は目立つような人ではなかった。教室の隅で俯きながらペンケースの整理をしている、さしたる特徴のない生徒だった。だからと言ってはあまりに酷いが、彼女が交通事故で死んだと聞いた時、きっと運転手は気づかなかったのだろうと思った。彼女を轢いた若い男性が、見えなかった、まるで気づかなかったと繰り返しているのも、言い訳ではなく、それが真実であるようにさえ思えた。 彼女は時速55キロの鉄の塊に殺された。信号のない交差点を横切ろうとした瞬間、彼女の人生に幕が下りた。これがどれほど恐ろしいことか僕には想像できない。聞いた話によれば、彼女は即死だったそうだ。なら、彼女は何も感じず死んだのかもしれない。痛みも恐怖も、何もかも。これが救いであるかどうかも、僕にはよく分からない。 ただ、彼女が何かを未練に思って、あの交差点に魂を置き去りにしたのは確かなことだった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!