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「何か言いなさいよ」
男が何も言わずに足を踏み出すと不可解な状況に気が付いた。男が歩いている場所は数メートル積もった雪の上。人が踏み込めばその足は埋もれるはず。そこをアスファルトの上を歩くように沈む気配がない。近寄らないでなんて叫んだところで、この男が聞き入れてくれるとは思えない。真登香が出来ることといえば、腕を組んで睨み付けるくらいだった。
「あんたまだわかってないんだね」
「何が?」
「俺を化け物だって思っているだろ?」
「違うの?」
「違わないけどね」
男が真登香の正面で立ち止まると、折れていた右腕を掴んだ。
「何すんの?」
真登香が抵抗するほど、男は掴んだ手に力を込めた。痛い、痛いと騒ぐ真登香に、男は嘘だと言い放ち、両腕で真登香の右腕を封じ込める。そして、肘の関節を逆に向かって折り曲げた。
小枝が折れるような乾いた音が鳴った。袖の中を滑るように落ちた右腕は、雪の上に沈むことなく浮かんでいた。それで真登香は男と同じように、自分が雪の上に立っているってことに気が付いた。痛みも感じていないし、寒いって感覚すらわからない。
「お前も化け物なんだよ」
男は落ちた右腕を拾うと真登香の袖をまくり上げた。割れたコップを合わせるように、腕のつなぎ目に当てがうと、口づけをするかのように息を吹きかけた。腕が繋がった。
折れるほど強く握っていた男の手は、水をすくうように触れていた。そのまま懐かしむように指先を真登香の腕に滑らせる。真登香はそれを拒まなかった。触れられているって感覚がなかったからだった。
「触らないで」
今さら拒む真登香に男は笑った。生きていた頃なら一発くらい頬を叩いていただろうけれど、この血の巡らない体では怒りの沸点がどうも上がりきらない。
せいぜいホコリでも振り払うかのように男の手を叩くだけ。感情に任せて口論をする気力も沸かず、ただこの場から去ろうと背中を向けるだけだった。
「あんたがどこに行くつもりか当ててみようか?」
振り向かなくても、男の顔が笑っている姿が目に浮かんでいた。だから、立ち止まらずに歩き続けた。
「慶介に会いに行くんだろ?」
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