ミスリード

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 しかし終始口調は穏やかで高圧的な態度も、脅し文句もない。『困る』らしいことはわかる。でもそう言う割には切羽詰まっている様子もない。  どこまでも淡々と、そう、まるでそこにある台本や詩でも朗読しているかのように同じ言葉が続く。『わかってます、でも困るんです、それは飲めません』と。  声はクセもなく耳触りがとてもよい。聞いてるだけで許されるなら、ラジオ代わりに仕事をしたいほど良い声だ。  机の上に広げた資料を、もう一度確認する。事故状況図、車検証、そして無理言って取り付けた小野原の免許証のコピー。  自分の生年月日から指折り数えてみても3歳上。現在32歳の男性。だが、免許証の写真、年齢、そしてこの対応。3点揃って、なんというか、どうしてもしっくりこない。何がどうと上手く説明は出来ないが、どうしても馴染まない。  写真から受ける印象は、とにかく真面目。  普段着が多い免許証の写真に、この人、小野原 (こう)はスーツにご丁寧にネクタイまで締めて写っている。黒の短髪は、学生時代は礼儀を重んじる体育会系の部活に所属していました、と言わんばかりの見るからに好青年。  涼しげな切れ長の目は芯が強く、揺らぎがない。決して悪巧みを考えるタイプではない。色んなタイプの人と接する機会が多い仕事だ。人を見る目だけはあると思う。  あ、でもこの免許証が本物なら、だけど。  手にした書類を机上に放り出す。どうしようかな?  事故形態も通常とは少し違う。
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