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「0主張の対応は覚えてる?」
そうだったと、田神に向き直る。放心している場合じゃない。
「はい」
「じゃあそのまま契約者に説明。こちらは窓口にはなれませんって言って」
少し冷たいと感じる口調で指示を出す。
新人にはなかなかハードルが高いかもしれないが、“断る”のも仕事の一つだ。
「いや、でも確認は取れてませんが被害者はケガをしているという情報があるんです」
情報が追加されたがやることは変わらない。
でも田神の「どうしましょう」の謎がやっと解けた。
こちらの過失が大きく、さらに相手はケガもしている状況で「俺は悪くない」と言われた方はやりきれないだろう、と田神なりの思いやりだ。
しかし私にも、まして田神にもそれを正すことは難しい。あくまでこちらは契約者側の当事者。契約者の意向が全てだ。
「相手の状況も含めて過失の話もしたんでしょ?」
「はい。しました」
私の質問に田神がどんどん小さくなっていく。田神もわかっているということだ。どうにもならないことを。
「なら、仕方ない。田神の気持ちもわかるけど、どうしようもない。田神は契約者の窓口なんだから。契約者の意向が全て。私たちは動けない。とりあえず相手保険会社さんにお任せしましょう。それより電話!お待たせしている方が失礼だよ。でも」
「はい…」
しょんぼりしている田神の背中をそっと押してやる。
「でも間違ってないよ。その気持ちは、間違えじゃない」
と。
誰の役に立つのか?自分は誰のために働いているのか?それを想像することが大切だ。どんな場面に立っても、そこに人がいることを忘れちゃいけない。
説明を始めた田神を確認して、後ろから書類に書き込まれた相手保険会社の連絡先を盗み見る。電話番号を押し、受話器を取る。ワンコールで担当の椿が出た。
「ご無沙汰してます。アメリカンクランプの森野です」
軽く挨拶を交わし、こちらの事情を説明。椿は笑って「いいですよ」と言う。聞けば、やはり事故現場で壮絶な言い争いがあったようだ。それにヘソを曲げたのがうちの契約者という話。被害者のケガを確認する。
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