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鍵盤の上にあった両手はダラリと体側に垂れた。
会場は静まり返る。
ピアノの鍵盤に手をついて、よろめきながら立ち上がる沖島と、声の主である波音の間を、聴衆の視線が右往左往した。
「波音……」
もはやゾンビと言っても過言でないほど衰弱した様子の沖島。聴衆の中に波音の姿を探す。波音は悪目立ちするのは嫌だったが、この度はすくっと立ち上がった。
前髪の向こうに彼女を認めると、沖島の口元が微かに笑った。それがかえって痛々しい。会場にいる全員の、助けを求める無言の声に怯みながらも、波音は真っ直ぐ沖島を見つめた。
「昴、自分を傷つけちゃダメ」
波音の懇願は、音響のいいホールによく響いた。
再び静まった会場。
「大丈夫。何があったって、昴の側にいるから」
彼を安心させようとして言った波音の強い声。慈しみの色が言葉を包んだ。
「…………」
暫く棒立ちになっていた沖島は、聴衆が見守る中、体の向きを変えて再び力無くピアノに向かう。それを確認して、波音も静かに着席した。
悪いものに取り憑かれたかのように弾いていた彼は、もういない。その代わり抜け殻だった。沖島は天井を仰いでいたが、不意にその両手が鍵盤の上に乗った。
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