理想郷

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紗恵の視線が、私の右手に握られた赤い物体へと注がれる。 片手でも軽々と持てる程、中身が無くなり、軽くなった灯油缶。 更に、紗恵の部屋から少し離れた位置にある居間には、完全に中身が無くなった灯油缶が一つ、雑然と床に転がっている。 しかしそれはまだ、原形をとどめているのだろうか? たったさっき、居間に放った火の回る早さまでは、予想はつかない。 しかしその火の手が居間全体に回り、この部屋まで達するのもあとは時間の問題だろう。  紗恵、と私は空いている左手で紗恵の頭に手を置く。 少し前はまだ私より低いと思っていた紗恵の背丈だが、今は目線が私とちょうど同じくらい。 また少し背が高くなったのか、と私は紗恵の成長を少し喜ぶ。 しかしこうしてそれを喜ぶのも、今が最後だろう。 ママ、と縋るような目で私を見つめる紗恵。 私はそんな紗恵に、ごめんね、と小さく呟くと、紗恵の頭から手を離す。 そして両手で灯油缶を掴むと、部屋の全体にかかるようにと、その場で周りながらその中身を辺りに撒き散らした。  その動作が終わると、私は灯油缶を手から離す。 中身が無くなったそれは、雑然と床に転がる。居間にあるそれと、同じように。 それらは役目を果たしたのだ。次に役目を引き継ぐのは、私自身。 私はジーンズの右ポケットから、ライターを取り出す。  すると、 「ママ、待って!」 それを見た紗恵が、ライターの握られた私の手を両手で慌てて抑える。 「ママお願い、教えて。どうして、こんな事をするの?」 再び紗恵から向けられる、縋るような目線。私はそれに、静かに応える。 「もう、終わりにしたいの」 「あいつがいるから?」     
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