年の瀬に脚を失い

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朝、 目が覚め、家令が寝台に食事と薬と水を用意する。 昼、 徒然に過ごしていると、いつの間にか。 松葉杖を脚代わり、ダイニングまでヨロヨロ赴き、バランスの取れた食事を頂戴する。食後に錠剤を一粒。 夕、 居間でのんびりと読書なり音楽鑑賞なり。 あるいはツイッターなりをしていると、いつの間にか、日没。 冬至が過ぎて間もない時期、太陽は早めの挨拶。 いちにちがまた過ぎてゆく。なんとなく、焦り始める。 自分はきょう、なにをしただろうか。。 まだ若いこの1日を、無為にしてはいないだろうか、いくら医師から「安静に」と言われても。 夜、 手作りの御馳走を摂取する。 …成長してから気づくことには、全てが手製ではない。 半分程度は、冷凍食品である、ということ。 しかし、自分としてはこれが「おふくろの味」となってしまっているのだ。 どこからを「お手製」、どこからを「インスタント」とするのだろうか? 農家でもない限り、自家栽培には限度がある。 手でこね、パン粉を付けたハンバーグだって、今どきスーパーで買った肉を仕入れて調理するのが当たり前、家畜を飼う家庭は少ないだろう。 一方、レンチンであったとしても、それには人の手が介在している。 なにをもって「真心こもった」とし、逆に「簡単な、冷たい、愛のない」とするのだろう? 完成に掛けた手間だろうか?(見知った人間の)人的コストがかかったものほど、愛情があるとするのか? お酒がおいしい、なにもかもどうでもいいや。 就寝前、 ああ無駄にしたな、きょうもなにもしなかったな、 など懐かしい後悔を胸に抱き… いや、そんな自虐は捏造だ、この頃には酒が回っていて、内省的な思考などしてられない、 凡そ現実世界に対する、ありとあらゆる物事に対しての怒りを、またしてもツイッターに撃ち込んでいるのだろう。虚しいが、これがいまやりたい事なのだから仕様がない。 ひと通り癇癪が収まると、夢の中。 夢でさえ誰かを泣かせていることが多い。 どこまで攻撃的になれば気が済むのだ。 自分で観ていて、呆れる。 そんな、年末年始。 個人的には、思わぬ形で冬休みが取得できたので大満足であります
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