文明の崩壊と人類の限界について

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イースター島の話を聞いたことがあるだろうか? かつてはそれなりに人類が繁栄した、 が環境変動とネズミの繁殖と人間の活動により破滅した文明、の島だ。 森が消滅し、土壌侵食が押さえられなくなり旱魃と洪水が頻繁に起こるようになる。農地は痩せ衰え、耕作が事実上不可能となり、人々は残り僅かな資源を求めて争い合う。 凶作、飢餓、戦争… 「木」が無いので船も作れず、島の外へは逃げられない。日を追うごとに食べ物はより一層少なくなる。 外敵はより凶暴さを増し、かつて井戸端で笑い合っていた「ご近所さん」たる我が家を目掛けて、殺人・食人・略奪を試みようとしている… というのが、近年の研究のようだ。研究の深度としては、文字資料に乏しく、まだ発展途上だろうな、という状態。 時代が下れば、もう少し細かな事情が分かると思う。いつごろから崩壊は始まったのか?いくつの部族があって、最終的にどれだけ滅んだのか?モアイを建てる理由は?それを打ち壊したのは?… 研究者は口を揃えて言う、「これは未来の地球の姿ではないか?」 確かにそうなのだろう、いま人類は過去に無い繁栄を極め、具体的には約60億。そろそろ70台に入るのか? これがいつまで保つことだろうか、最近自然保護がそこまで声高に叫ばれなくなった、そんな気がする、 日本一国が努力したところで、大国がバカスカ排気し放題では効果の薄いこと、なにより国民の生活水準が下がり、余裕のない人々が増え、環境など気にしていられるか!という風潮が感じられないでもない。環境汚染は止めようがないと思う。 我々は生きて数十年の命。 数百年先、まして数千年先のことなど知ったことではない、 今が一番大事。 それで正しいのだと思う。 結局のところ、我々文明の享受者は車を捨てられず、電車を捨てられず、電気と水道とガスが止っては生活など成り立たない。 一億総ホームレスになどなれないのだ。 子供のためになら生きて行けるだろう、 では孫のためには?ひ孫のためには?そのさらに先の子孫のため、今を犠牲にできますか?私は無理だ。 崩壊の足音が、ひとつ、またひとつと聴こえているにも関わらず、過去失敗した文明同様、我々は綱渡りを進めてゆく。原発は再稼働、それで正しい。 我々は、その程度なのだ。 ※素人なので不勉強なところが多々あると思います。どなたか有識者の方、ご指摘頂ければ幸いです
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