第一話 追憶の雪

4/6
前へ
/12ページ
次へ
 その日は、日本中が熱湯の中を歩いているみたいに異常な暑さだった。まだ夏休みに入ったばかりだと言うのに、蝉時雨が騒音に感じるくらいに。夫婦共働きだったから、パパもママもお盆休みまではまとまった休みが取れない。頼家も私も、塾もお稽古ごとも友達との約束も何もない日だった。 「おねーちゃん、プール行きたいよー!」  弟の願望は、大抵その通りに与えられる。だから空気も読まずに欲しいと思った事、したいと思った事はそのまま言葉にしてしまう。いつもそうだ。そしてそれはほとんどが叶ってしまう。パパもママも頼家には甘いんだもの。  弟は色白でひょろっとしていて、くりくりした茶色の瞳にサラサラの茶髪。成績はトップクラス、100m走ではN県一位。だから周りは「芸能界に入ればアイドルになれそう」とか、「陸上選手なんかもいいわね」なんて無責任に持ち上げる。おまけに私にまで「頼家君はアイドル顔で、お姉ちゃんはその……ホホッ、何というか五月人形みたいにカッコいいわね」などとご丁寧に苦しい世辞を述べらる事もしばしばあった。更には「弟さんは優秀だけどお姉さんは普通で可もなく不可もなくなんて、可哀想ね」などと陰口を叩かれるなんて日常茶飯事だ。可もなく不可もなしなんて悪意が籠ってるじゃないか。 「えー? 午前中、学校のプールに行って来たばかりでしょ? 暑いしお家で漫画でも読んでたらいいじゃないの。市民プールの方が混むから、ゆっくり遊べないと思うし」  二回も弟のプールの面倒を見るなんて真っ平だ。すぐに反論した。 「嫌だもん。行くもん」 「私は行きたくない。めんどくさい」 「行きたいもん。ねー連れてってよー」  ほら、私にまで駄々こねて。 「真理、意地悪言わないで連れてってあげて。お母さん、もう仕事行く時間だから後お願いね」  ママは無責任に私に面倒を押しつけて仕事と言う逃げ場へ去って行った。いつものことだ。弟のにんまりした顔を見て、ひっぱたきたくなったのを今でも覚えている。 本当に引っ叩いて、行かなかったら良かったんだ。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加