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3.11.
日本語の読めるものなら、誰しもが分かる日付であろう。
あれを機に、私の、世界に対する、或いは、人生に対する態度が決定したと考えている。
ヒトというのは、特別な生き物ではない。
いや確かに、高い知能を有し、文明を維持発展させてきた。
が、しかし。
津波で、一発だ。
死ぬときは、死ぬんだ。
幸いにして、私が住んでいた地域はほぼ無縁で。
計画停電もなかったくらい。
流石に1年くらいは、地震と今後について、みんな考えていた。これからを話していた。
が、徐々に、それは周囲の人間の関心ごとでは無くなっていった。
みんな、どんどん、「日常」へと帰っていった。
僕はココに、…「あの日」に留まった。
現国の時間、様々文章を読むにつれ、世界に対する不信感は僕の中でどんどんと膨れ上がっていた。
近代を否定していた。現代社会そのものを敵対視していた。
少なくともサラリーマンなんか、まっぴらゴメンだった。
…震災前か、恐らく以後であろう、先生には「学者になるといい」そう言われた。その通りだ、今でも思っている。
話が逸れたが、自分の社会不適合ぶりは自覚しており、このまま社会に出ても、苦しいばかりだろう、稼ぎは程々で良いから、何か研究をしよう、執筆をしよう。本を書こう。
そんな事ばかり、考えていた、身内の死もそれなりに多く、死生観が7割型決まっていた、そんな、屋根裏でハチPの「リンネ」を聴いていた、あの日。
最初は「ただの」大きな揺れだった。
なんだか普段より大きいな、結構ゆれたね、こりゃ震源は相当なんじゃないか?
いつものことだな、でも中々来たなあ、そんな調子で、一家揃ってテレビを点ける春休み。
非日常が、放映されていた。
「…なんかの冗談じゃないの?」誰かがポツリ呟く、それほどまでに、大型インチに表示される現実は、信じがたいものだった。
沿岸部、車の渋滞、押し寄せる波、攫われる、えっ、なにかドッキリでしょう、車が、車が、家が、町が、泥水に流され、
死者二万人。毎日届く新聞。
増大し続ける行方不明者の数。
世界がひとつ、終わったと思った。
僕は何一つ怪我なく、ただメディアから入ってくる情報を受信しているだけ。
被害ゼロ。親族無事。
知り合いは誰も死んじゃいない。言ってしまえば、無関係。
それでも、この日を境に、人生。
僕の人生、生き方、決まっちゃった。
祇園精舎の鐘の声、…
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