銀杏並木に想いを寄せて

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季節が移り変わるときは一瞬だ。 ほんの数週間前までは半袖を着ていても暑くて体が耐えきれないと大量の汗を流していたというのに、今は素肌を風が撫でると芯から冷えてくる。 日も高くなってきた午後、薄い秋色のカーディガンに薄黄色のワンピースというお気に入りの服を着て買い物に出たけれど、歩いていても肌が粟立ってくるのを感じてもう少し厚着すれば良かったと若干後悔した。 一人分の食料を入れたビニール袋を片手に大きな表通りをゆっくりと歩く。 二車線ある道だが車など殆ど通らない片田舎だ。 そしてこの時期は石畳で出来た道が黄色に染まっていて絵画を見ていいるような美しさがある。 歩道の両脇にイチョウの木が一定の間隔をおいて植えられている。 その間隔は人工的なものだからこそ人間が美しいと思える並びになっているのだろう。 これほど美しい光景だと言うのに、地元の人々はこの時期表通りを嫌い裏の迷路のような細い道を使う。 それというのも、先が見えないほどのイチョウ並木だ落ちてきた銀杏のにおいも強烈なものがある。 いくら美しいとは言え地元の人は見慣れたものだ、なんなら家の中からでも見ることができる。 わざわざ鼻を摘みながら歩く必要はないというわけだ。 それに加え平日の昼間では走り回る子供たちの姿さえなく、がらんどうな並木道が逆に情緒を醸し出している。 足元に落ちている銀杏から得も言われぬにおいが漂ってきて、ふと遠い日の幼い頃を思い出した。 父と私は銀杏料理が好きで、この辺りにある銀杏を持って帰っては母に怒られたものだ。 それでも懲りずに持ち帰ったのは、怒っていても料理には使ってくれるからだ。 味が好きではないだのにおいが嫌だのと言いながらも、食べ物を粗末にできない母は銀杏を使った料理を作ってくれた。 なにより私と父が美味しそうに食べる姿を見た母は半ば諦め半ば喜んでいたように思える。
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