いつかの遠い日に

１

正面に見知らぬ男に立たれていては息が詰まる。
　歩人は僅かに身体をずらして席を立とうとしたが、男の行動の方が一瞬早く、歩人は男に捕まれた腕を恨めしく見下ろすことになった。

「腕、離してください。もうすぐバスが来るので」
　口調とは裏腹に、目には険が籠る。
　それに嘘は言っていない。
　頭一つ分高い男の肩の向こうに、待ち望んだバスの車体が近づいて来るのが見えている。

「聞こえましたか？」
　歩人の声が届いているのかいないのか、腕を掴む男の手は緩むどころか、より一層力がこもってきている気がする。

　バスが到着してケンカだと思われるのも鬱陶しい。
「……離せよ。聞こえてるんだろ？」
　装うことをやめ、歩人はそう相手に迫った。
　狙ってそうしたわけではなかったが、腕を掴んでいた手と視線から同時に力が抜けていく。

信じられないものを見るような男の視線から逃れ、歩人は丁度滑り込んできたバスのステップを上がった。