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「――もしかして……歩人?」
同じバスに乗るものと思っていた男は、歩人がステップを登り切ってもその場に立ちすくんだままだったが、発せられた言葉だけが追いついて来た。
心臓が、止まるかと思った。
本当にそうなれば本望だがそれは所詮比喩でしかなく、振り返らないと思っていたのに、歩人は無意識のうちに振り返ってしまった。
男の呆然とした表情は、そっくりそのまま自分のものかも知れない。
何の前触れもなく突然男が視線を外し俯くと、一歩後ろに下がった。
「扉、閉まりまぁーす」
運転手の特徴あるアナウンスに促され、歩人は近くの席に腰を下ろす。
ついさっき止まるかと思っていた心臓が今はドクドクと音を立てて全身に脈動を伝え、握りしめていた拳には、嫌な汗をかいている。
その拳をゆっくりと解きながら、歩人は細く小さく息を吐いた。
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