第一章

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「でもまだ、一刻も経っていませんけど」  もう少しここにいたい。  言外の甘えが愛らしく、かえって悔しかった。眉間によった皺を自覚する。 「これだけあれば、花束としては充分でしょう」  右腕に抱えた花に目を落とす。蓮が摘んだ分と合わせれば、いつも用意されているよりも多いだろう。  首を傾げた思案顔が、月龍を見つめている。視線を合わせ辛くて、顔を背けた。 「お送りするのは邸か、それとも亮の元ですか」  沈黙が落ちるのを恐れて発した声は、愛想のないものだった。  もっと他に言い様がないのかと自らの性格を呪う。  頬に感じられる視線が痛い程だった。  はっ、と洩れたため息は、どちらが早かっただろう。 「では、邸へ。花束は、月龍様が届けて下さると嬉しいのだけど」 「承知した」  宮殿へと言われるのを覚悟していただけに、安堵する。望みがないことに変わりなくとも、亮との親密さを目の当たりにさせられるよりはまだよかった。  行きにあれ程舞い上がっていたのが、まるで嘘のようだった。  髪から漂う甘い香りも、触れた体の細さ、柔らかさも変わりないはずなのに、ただ虚しさが助長される。  親しげに振舞ってくれるから錯覚を起こしかけたが、そもそも手の届く相手ではなかったのだ。  身分違いだけではなく、蓮の気持ちが亮に向いているのならばなおのこと。  胸を圧迫する息苦しさに、時間が早く過ぎればいいと思った。  ずっとこうしていたいと願った行きの時とはうって変わった心境に、我が事ながら苦いものが込み上げてくる。  否、正確に言えば気持ちは揺れ動いていた。  今日の事が亮の顔を立てるためだけだったのなら、もう二度と誘われはしないだろう。最後ならばせめて、この時間を噛み締めたい。  同時に、どうせ叶わぬなら思い出などない方がいいとも思う。  蓮は亮の正宮になるかもしれない。ならば嫌でも顔を合わせることになる。  その度に自分が抱いた想いが頭を掠めるのでは、さすがに辛い。  もっとも、傷が残る程の深入りができるかどうかは疑問だけれど。 「今日はお付き合いくださいまして、ありがとうございました」  邑に着き、城壁の外で馬を下りると、蓮が深々と頭を下げた。  ここまででいいとの意思表示に、馬を繋いでいた手を止める。
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