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しかし、そこには鱗はおろか、二股に分かれた、まったく変わらない二本の足があるだけだった。
海に浸かった白いふくらはぎが、月光をゆらゆらと反射している。
ーーあれは夢、だった?
海月は止めていた息を吐き出した。
それは失望のため息だった。けれど、ほんの少しの安堵が混じったため息でもあった。
ーーなぜ?
海月は自分に尋ねた。
人魚になってしまいたかったのに、それなのに彼女は人間のままであったことにほっとしているのだ。
ーーそれは、なぜ?
濡れた背中が冷たく、風はさらに体温を奪った。けれど、海月はそこから動こうとはしなかった。
ーー足。私の足。
海月は、足を見つめていた。
もう走ることの出来ない足。風になる喜びを与えてくれない足。
駆け抜けることも出来ず、のろのろと歩くことしか出来ない足。
役に立たない、がらくたのような足。
夢の中でそうしたように、海月は怪我の後をなぞった。でこぼことした感触が指を伝った。
海水に長く浸かったせいで、そこはふやけて痛々しさが増している。
月の光は、その傷跡をまんべんなく露わにした。
ーー帰ろう。
唐突に、海月は思った。
帰って布団にくるまって眠ってしまおう。そして、明日の朝、何事もなかったように起き出そう。そうやって、これからを生きていこう。
なくなってしまえばいい、そう思っていた足で、海月は立ち上がり、岩場をゆっくりと歩き出した。
もう彼女は風にはなれない。
けれど、この足をなくしてしまったら、風になれたことすら忘れてしまう。
月明かりの道を、海月は歩く。
その背に、広い海のどこからか、人魚の声が聞こえたような気がした。
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