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私の考えを知ってか知らずか、せっかく温泉に入っているのだから、と風呂の湯と同じようにソフトな口調で綾目は言った。きっと綾目なりに気を使っているのだろう、と私は思った。綾目は私の結婚生活のことを、結婚指輪について私はぐらかしてから、尋ねてこない。私はさまざまな問題が脳裏をよぎったが、その問題は今の私にとっては些末なものだと思おうとした。肩まで湯に浸かると、思考がとろける。そう、この瞬間こそ私の求めていた安らぎだ。そして私は自分の髪が温泉にひたらないように気をつけた。
「ラプンツェルみたいって綾目に言われて嬉しかった。私、あのお話が大好きなの」
「本当にそう思ったんだよ」
私たちは穏やかに笑った。綾目は私を甘やかすのがうまい。本当にお姫さまになったような気分にさせられる。グリム童話の『ラプンツェル』。この話の最後は、魔女によって短く髪を切られたラプンツェルと、ラプンツェルを探し、さすらっていた王子さまが砂漠で再会する。魔女のせいで目が潰れていた王子さまはラプンツェルの涙で目が見えるようになるのだ。少し肉体的に痛々しいが、ドラマティックな童話。私の王子さまは誰だろう。弘文のことを一瞬、思い出したが、違うと打ち消した。
綾目は恋人にどんな振る舞いをするのだろうか、とふと気になった。私の扱いが上手いのだから、きっと恋人にも優しく、相手に合わせて柔軟に対応するのだろう。仕事もしているし、男性と対等な関係を築くことができる。嫉妬ではないけれど、理想的な関係が築けるだろう綾目が羨ましく思い、私は綾目に問う。
「綾目の気になるひとって、どんなひとなの?」
「その話は別にいいよ」
「気になるじゃん」
「夏実、あなただよ」
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