ラプンツェルの長い髪

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 最後に残った冷静な自分がそう言わせた。表面上の和解だとお互いに知っている。食器を割ったことも、逆上したことも、大声を出したことも、私たちは最初からなにもなかったように振る舞う。私はとにかく休みたかった。しかし安楽椅子でまど睡むような幸せは今の私にはほど遠い。どうしたら休まるだろうか。身体も心もうまく呼吸ができていない。次はお皿以外に何を割ればいいのか私はわからなかった。疲れ果て、寝間着に着替えることも億劫で、部屋着のままで私は熱のないベッドに身体を横たわった。弘文と愛しあったこのベッドはすでに冷気に支配されている。誰かを愛することを、好きな物事に心血を注ぐことを情熱と言う。私と彼との間には義理はあるけれども、熱はない。むしろ寒気がするような冷たさが私たちを包む。彼が寝室に入ってくる前に眠ってしまいたかったが、気が昂って目は覚めてしまっている。私は疲れている。その原因も知っていた。休まらな いのは私の今にも擦り切れそうな精神状態のせいだということも。私はお腹に手を置いて、深呼吸をした。そして否が応でも皮膚の下の内臓があることを意識させられる。今月も不毛な血を流した私の子宮。血と虚しさしか吐き出すことのないこの臓器に、包丁を突き立てたくなった。しかしそんなことはできなかった。もしかしたら彼との仲が修復できるかもしれない。また治療に専念できるかもしれない。今は休んでいるだけ、と自分に言い聞かせ、私はお腹を撫ぜる。  弘文が寝室に入ってくると、私とは反対側のベッドに腰かけた。 「おやすみ」  私が狸寝入りをしているのを知ってか知らずか、彼はそう言った。そして彼は私の身体に触れないように、そっとシーツの上に身体を横たえる。よくもまあ、あの争いの後で眠る気になれるな、と私は呆れた。彼は寝つきが良く、三分も経たずに静かな寝息が聞こえてきた。私はため息をつくと、ベッドから抜け出した。  音をたてて缶を開けると、炭酸の弾ける音が耳に入る。ビールを飲むのは久しぶりだと思い、それを一気に半分ほど飲み干した。     
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