ラプンツェルの長い髪

9/24
前へ
/24ページ
次へ
 私は自分を痛めつけるように笑うと、五本目のビールを開け、煙草に火を点けた。この温泉が不妊に効くということは知らなかったが、どうせ眉唾ものだ。それだけ今は多くのひとたちが不妊という症状に悩まされている、というだけだと自分に言い聞かせた。藁にも縋りたい気持ちもわかる。問題はこの場所に私はひとりで、多くの夫婦は連れだっていることだ。互いに信頼しあっている夫婦をみると居たたまれなくなる。幸せそうに歩いている夫婦。それは産婦人科で見た妊婦と似ている。慈愛に満ちて、穏やかな表情を浮かべている。私ひとりきりでは慈しみも優しさも持つことができない、と否が応でも意識させられるから。弘文がいなければ何もない自分を、依存している自分を、どうすればいいかわからず、持て余している。  感情の吐き出し場所がない私はビールを飲み干すと、音を立てて缶を潰す。缶がひしゃげる音が鈍く部屋に響いた。私が聞きたいのはガラスが割れるような澄んだ鋭い音であって、この音ではない。  窓際に座って、煙草を吸いながら旅館の下を流れる川を見ていると、酔いのせいで不毛なことを考えてしまうのだ、と私は自分に言い聞かせた。この煙草を吸ったら、温泉に入りに行こう。心地よい柔らかなお湯が、鼻を刺すこの臭いから、洗い流してくれるだろう。そして私は久しぶりに弛緩することを覚える。ここでは奥歯を強く噛む必要はないと、私は思いださなければ。  脱衣所を見る限り、まだ陽が高いせいか、温泉に浸かっているひとは少ないようで、私は安心して服を脱いだ。     
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加