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マイバウムを見上げていた視線を下ろして公園の外れに向けると、あの日見た建物が雨に濡れながら静かに佇んでいた。
旧高等裁判所。数多くの罪を裁いてきたその石造りの荘厳な建物は、煙る雨の中で存在感を放っている。
傘の下で、わたしは唇を噛んでいた。
あの日、あの言葉でわたしは救われた。
名前も知らない彼。手がかりは傘の柄に彫られた〝A・A〟というイニシャルだけ。姓も名前も頭文字は〝あ〟でしかないなんて、大きな手掛かりかもしれないけれど。
約束の日、わたしはここに来たのに、彼は来なかった。でも、不思議と大きなショックはなかった。十年という歳月は、思ったよりも長かったんだ。あの時、わたしはあの優しさに救われたから。それだけでいい。そう自分に言い聞かせてきた。でも――、わたしは傘の柄をギュッと握りしめていた。
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