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1人の少女の後ろ姿だ。窓枠を力強く蹴り、雨に降られてぬかるんだグラウンドへ今にも飛び出していこうとしている少女の。
顔は見えない。でも、ここに描かれているのは“私”だってわかる。濡れた体操着越しにうっすら見える肩や腰の肌色に、あの日作田くんが作っていた絵の具が使われていたから。
信じられない気持ちと確信とを半々に持ち合わせて、そっと顔をあげる。くしゃ、と音がしそうな笑い方をした作田くんは「本当に黒瀬さんに見てもらいたかったのはこの絵なんだ」と観念したように肩を落とした。
「断りもなく勝手に題材にしちゃってごめんね。絵の具のことも…でも、どうしてもきみを描きたくて」
「どうして…?」
「ちゃんと絵を描いてみよう、何かに挑戦してみよう、って僕が思えたのは黒瀬さんにエネルギーをもらったお陰だし、きみを描いてると楽しいから」
黒光りするほど焼けててよかった、って心底思った。もし作田くんみたいに色白だったら、ごまかしようがないくらい真っ赤になってるのがバレて、居ても立っていられなくなってただろうから。
今まであまり気にしなかったけど、作田くんに毎日毎日練習してるところをじっと観察されてたんだと思うとたまらなく恥ずかしい。ただ、嬉しくもあった。彼が言った通り、努力は自分のためにするものだけど、頑張ってるところを誰かが見てくれてたと思うと、それだけで多少報われた気持ちになれる。
明日から1週間くらい、本当の本当にひとりきりでの練習になるけど、もうへっちゃらだ。離れた場所で頑張るみんなに負けないよう、最後まで走り抜くだけ。
「じゃあそろそろ私、練習始めようかな!」
「忙しいのに付き合ってくれてありがとう。僕もこの絵をもう少し磨き上げようかな。お互い頑張ろうね」
作田くんと拳を軽く突き合わせ、あの日と同じように窓枠に足を掛ける。
グラウンドへ飛び出していく寸前、彼を一瞬振り返ろうか迷ったけど、やめた。前だけ見て、背中で覚悟を語ろうと思ったんだ―――あの絵の中の私のように。
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