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 マンションの前に散り積もっていた桜の花びらの絨毯を踏みしめ、その先に伸びている電車の高架の下を、スカイブリッジを背にしてひたすら歩いた。日が暮れて薄暗くなってきたけれど、足を止めるわけにはいかない。時間が経てば経つ程、安西は遠くに行ってしまうから。  ガサリと近くで音がした。水色のブルーシートで覆われた段ボールの中に人がいて、僕の方を見ていた。ギラギラとした目。僕と目が合うと、その人はサッと目を逸らした。もしかしたら今の僕の目も同じ目を、いやそれ以上に鋭い目をしているのかもしれない。何かを求めて取り憑かれた目。その「何か」以外のことは、どうでもいいという目。  すっかり日が暮れてしまうと、寒さが下りてきた。いつの間にか川原の近くに来ていて、川風が刺さるように冷たい。指先が冷えて、感覚が鈍くなってきた。僕は自分の腕をさすりながら歩いた。前方の空には細い月が見えた。色のない白いその月は、僕を笑っているように思えた。  想像するのよ。  突然、安西の口癖を思い出した。そうだ、想像してみよう。  よく見ると、夜空には月以外に、うっすらと星が出ていた。一番明るくて白い星と、少し明るさは落ちるけれど、赤みを帯びた星が月のだいぶ上の方で光っていた。  あの星は、宝石だ。あの赤い星が女の人で、白い星は男の人。二つの星は次第に距離を縮める。その距離がゼロになった時、奇跡が起きるんだ。誰も想像できなかったような奇跡。そうだな、もう会えないと思っていた人と会えるとか。またそういう人たちと一緒に暮らすことができるとか。  そんな奇跡を、宝石のような輝く奇跡を、僕はあの星たちの上に見ながら、いつの間にか眠りに落ちてしまったようだ。意識が途切れる直前に、哲さんの口癖が聞こえた。  誰でも一生賭けて愛せる人に、必ず出会える。  たった一人でいいの。てか、そんな人、一人しかいないんだけどね。   目を覚ましたら、白地に見慣れない格子模様の天井が視界に入ってきた。ここはどこだろうと周囲を見渡すと、背中の下で、固いスプリングが軋んだ。  僕は病院のベッドの上に寝ていたのだった。 「目が覚めたか?」 と言う声が聞こえてそちらを見ると、ベッドの足元の向こうには泰介さんが座っていた。哲さんはいなかった。そう思った僕の心を読んだのか、「哲は、仕事で昨日から海外だからな」と泰介さんは言った。
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