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「え、泰介さん、ご飯、炊いておいてくれたの?やり方、わかったの?」
「酷いことを言うじゃないか。それくらい、わかるさ」
「だって」
「まあまあ。ほら、圭もいるんだから」
泰介さんは自然に僕のことを呼び捨てにした。しかしその呼び方に、僕は親しみを覚えた。少し掠れた、低めの声。圭という名前を呼ぶ時、不思議なのだけれど、そのまま最初の子音に引きずられてエの音で終わる人が多い。しかし、泰介さんは違った。きちんと母音のイの音が、掠れた声の中に残ったのだった。
泰介さんは髪を結んでいる哲さんとは違って白髪を数ミリに短くカットし、身体はとても大きく、来ていたポロシャツの袖が筋肉質な腕にピタリと貼り付き、細い灰色のフレームの小さな丸い眼鏡を掛けていた。僕は家の中に入ると「ここに座りなさい」と言われたまま泰介さんの隣に座り、泰介さんのその眼鏡のフレームが面白い曲線を描いて耳まで伸びているのをじっと観察した。泰介さんは僕がそれに興味があることを知っているようで、わざと僕を見ずに、台所に立つ哲さんに何やら話しかけていた。
かっこいい。泰介さんと会って本当に数分しか経っていないのに、僕にはそれ以外に泰介さんの持つ雰囲気を表す言葉が見つからなかった。泰介さんはたぶん校長先生か、施設長さんと同じくらいの年齢だと思うけれど、醸し出す雰囲気は若くて、活気に満ちていた。
哲さんが僕の前に、お茶碗に山盛りの白いご飯と、木目調のお椀に味噌汁、鶏のから揚げとキャベツの千切りにミニトマトと胡瓜を花の形に切ったサラダを並べてくれた。僕は今までこんな綺麗に盛り付けられたものを見たことがなかった。お腹はとても空いていたけれど、勿体なくて食べられない気がした。
「何だ、哲。こんな風に胡瓜、切れるのか。知らなかった」
「子供はこういうの好きかなと思って、練習したんだ。悪い?」
泰介さんは、ふふっと笑った。笑い方も、何だかちょうどよかった。大きな声で笑うのでも、全く声を出さずに唇だけを上げて笑うのでも、駄目な気がした。泰介さんは箸で花型の胡瓜を僕の目の前に摘まんで、
「ほら、哲の力作だ。食べてみなさい」
と言った。僕はそのまま口を開けて胡瓜を含み、音を立てて噛んだ。こんな美味しい胡瓜を食べたことはなかった。
「美味しいか?」
と泰介さんが聞いたので、僕は大きく頷いた。
「ただの胡瓜じゃないからな。哲の愛情入りだ」
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