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「そういうこと、口に出さなくていいから。恥ずかしい」  哲さんが持ってきてくれた僕用の箸は、きちんと僕の手のサイズに合った短いもので、水色に何かのアニメの戦隊もののキャラクターの絵が描いてあった。 「さあ、食べようか。圭君」 と哲さんが言った。僕がモジモジしていると、泰介さんが、 「さっき胡瓜を摘まみ食いしちゃったけどな。改めて、いただきます」 といたずらっぽく言ったので、僕も気が楽になって「いただきます」と言い、箸を握ると鶏のから揚げを頬張った。それは、とても温かくてジューシーだった。何だか夢みたいだと思った。そう、これは夢なのかもしれない。この食べ物といい、さっき見たあの橋といい、横にいる素晴らしくかっこいい泰介さんといい、僕が今まで知っていた世界に存在するものとは、かけ離れたものだったから。 「すっかり、圭君の心を掴んだみたいだね」 と哲さんが泰介さんに言うのが聞こえた。泰介さんはただ目を細めて笑った。  何日寝ても、夢は覚めなかった。夢は次第に日常に取って代わり、僕は逆にこの家が普通の家庭と違っている点に気付き始めた。それは、最初にキラキラ宙に浮いているように見えた橋が、実は空とは繋がっておらず、海の上に何本もの柱で支えられているだけなのに何だか寂しさを感じる過程と、ほぼ同じタイミングだった。  なぜ一つの家に男の人が二人で同居しているのか。哲さんと泰介さんの間に漂う空気は何なのか。  例えば夜。暑さで寝苦しく、夜中に起きて台所へ水を飲みに行くと、泰介さんと哲さんはお互いに別々の自分の部屋を持っているはずなのに、泰介さんが哲さんの部屋の中にいるような気配がする時がある。普段聞いたことのないハイトーンの掠れた声が、なぜか哲さんの部屋の中から聞こえて来るから、わかるのだ。あれは、泰介さんの声。泰介さんの、そう、特別な声だ。  僕はなぜだか気まずくなって、足早に自分に割り当てられた部屋に戻り、暑いのにタオルケットを頭からすっぽり被る。今この家に漂っている空気と同じ空気を、僕は知っている。
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