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 所々虫に食われた畳の上。汗とカビの混じった臭いのする布団。その中にウー兄とスミレさんが一緒に眠る時の、あの空気。いつもとは違う二人。二人の発する熱気は、他の誰も入り込めない別の次元の世界を作り出す。施設の小さな倉庫で、僕はたまたまそんな二人を見てしまったのだ。後でウー兄に、何をしていたのか聞いたら、「俺たちは恋人なんだよ」とサラリと告白したが、絶対に他の人には言わないよう約束させられた。 「自分より大切だと思える人ができたら、お前も、わかるよ。その人がいつも押さえ込んでる衝動みたいなもんも何もかも全部、受け入れてあげたくなるんだ」  ウー兄の説明はそれだけだった。  もう一つ。僕は失望感に襲われていた。それは、哲さんと一緒に暮らしていれば、いつか僕を産んだお母さんという人にも会えるのではないかという願いはどうも叶えられそうにないからだった。哲さんは、僕の母親のことを全く話さなかった。  高層階の月に近い明るすぎるこの部屋が、僕は嫌になってきた。ここにはお前の居場所なんかないのだと言わんばかりに、月は僕を見ている。施設では自分だけの部屋はなかった。静かすぎる空間がなかった。消灯時間が決まっていて、夜は暗いものだと決まっていた。二階建てのあの施設からは月が見えなかった。まるで化け物のように、夜なのに明るく輝く鉄橋。その明かりから僕はここにいる限り、逃げられない。  僕は、突然放り出されたこの現実離れした華やかな世界の中で、ただ泰介さんと哲さんが纏う独特の空気の邪魔をしないよう、息を潜めるように毎日を過ごすようになった。  九月になり、僕は新しい学校へ登校した。初日には転校生として紹介され、挨拶をさせられた。教壇の床だけを見て、ぼそぼそと小さい声で自分の名前を言った。その時の自分は本当に最低だっただろうから、誰も覚えていないだろうと思っていたし、それでよかったはずだった。 「新田君、同じマンションだったんだね」  帰り道、マンションのエントランスの所で、僕は後ろから声を掛けられた。肩までの髪をリボンのついたゴムで束ねている、目の細い女の子だった。 「何階に住んでるの?」  その子はハキハキと話した。自分は最上階に住んでいて、そこからの眺めはとっても綺麗、夜にはスカイブリッジが全部くっきり見えるのだ、というようなことを矢継ぎ早に話した。僕はその子の質問には答えずに、黙っていた。
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