1人が本棚に入れています
本棚に追加
ーー1ーー
「え……何?じょ、冗談……だよね。ね、起きて。ほら」
家に帰ると、赤黒い液体の海が広がっていた。その中央には、母がよく着ていた服を纏う肉の塊。
近寄ると、液体は生温かった。制服のブラウスが赤く染まるのを気にせず肉の塊を抱き上げる。
すると、幼い頃から見慣れてきた顔が見えた。顔色は真っ青で、とても生きているとは思えなかったが、その肉の塊が誰なのかはわかった。
「母さん。嘘でしょ、ねえ、笑っておかえりって言ってよ。いつもみたいに、笑顔を見せて」
話しかけるが、ただ虚しくなるだけだった。
どこかでわかってはいたが、ショックは大きかった。
もう、あの優しい笑顔を見ることは叶わない。
何もできない無力さと、受け入れることが出来ない自分の弱さを痛感した。
そして、弱い自分が無意識のうちに電話をしていた。
『こちらーー火事ですか、救急ですか?』
「救急……です」
『ーー』
電話が終わってしばらくするとサイレンが聞こえてきた。
「今着きましたよ……っ!」
自分が今どんな顔をしているか。そんなもの想像ができなかった。
「大丈夫か?!花凛、母さんは」
仕事のバックを抱えて走ってきたのは父親だった。
「私が、もっと早く帰っていたら……気づけていたかもしれないのに。なのにっ……私が」
涙で腫れた目が重く、頭の中がぐちゃぐちゃでいっぱいいっぱいになっていた。
「姉ちゃん 、父さん……遅かった 、か」
息を切らして走ってきたのは、月矢ーー弟(長男)ーーだった。剣道部に所属している月矢は、さすがに防具は外してあるが道着を身に纏い、竹刀を手にしていた。
「なんで。なんでだよ!くそっ……」
そこらの壁に八つ当たりをしたあと、息を整えた月矢は私に近づいてきた。
「別に姉ちゃんが悪い訳じゃないって分かってる。でも、母さんが」
ギリギリと歯ぎしりをした月矢はふいっと方向を変えてどこかへ行ってしまった。
私の中には、ぽっかりと巨大な空間が開いた。
最初のコメントを投稿しよう!