一章

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 普段とは逆方向の電車に乗って30分、駅の改札を出て歩くこと10分。俺は真っ白なピーコートを着たおかっぱ風な髪形の女のぴったり真後ろを、きっちり全く同じ速度で歩く。トロい、いやものすごくよく言えばおっとり系の彼女は、俺が自分の背後を歩いていることに全く気付かない。 「灰垣(はいがき)」  仕方ないから短く呼び止めてみる。丸っこい目と小さな口は、ウサギに似ていると思っているのだが危機察知能力は極めて低い。振り向いたその顔は実に能天気だった。 「はい、ぎゃっ! な、なんで!」  ひょっとしてワザと気付かないフリをしているのではないかと疑ったが、あえての無視ではなかった。世界ぼんやり選手権があったら優勝候補の筆頭だろうな。 「なんでだろうな。わかってんだろ」 「うっ……」  俺は珍しく雪が降り積もった路面に小気味よい足音を鳴らし彼女との距離をじりじり詰める。見下ろす彼女の背がみるみる縮んでいくが、知ったことか。 「おい、灰垣。いい加減、白黒はっきりつけようか」  一週間前に俺は、五歳年下の後輩社員である灰垣苑美(そのみ)に自分の気持ちを伝えた。皆が帰った後の二人きりのオフィスにて、「お前が好きだ」とはっきり言うと、彼女は和菓子のあわ雪のような肌を赤く染めて震えたまま、脱兎の如く俺から逃げて行った。それから彼女は俺と目すら合わせようとしない。  メッセージを入れても既読無視、朝挨拶をしても返事もしない。仕事の用事で話しかけたら辛うじて「ええ」、「はい」とギリギリまで文字数を削って返答をしてくるといった具合だ。どうなっているんだばかたれ。
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