一章

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「あっあわわわわ……」  まさか自分の家の最寄り駅までついてくるとは夢にも思わなかったのだろう。彼女は目をつり上げた俺を見上げながら口を酸素が足らない金魚のようにパクパクさせ、その場で立ち尽くしている。手の力も抜けており、持ってる鞄を手から落としそうだ。 「あわわじゃねぇよ。おさらいしてやろうか。俺はお前に『好きだ』と言ったな? お前は俺に『好きです』ないしは『そうでもないです』とお返事を返せば俺にこんなところまでストーキングなんぞされることはない。で、お返事は?」  灰垣の目がウヨウヨと泳ぐ。そのまま溺死して許す俺だと思うなよ。 「えっ、えーっと……」 「一週間シンキングタイムがあっただろ、お前にはもう時間は残されていない」  新人の頃から見てきたから知っている。こいつは一度(つまず)くと延々と悩んで何も終わらないから明確な期日を設定してやらないといけないのだ。 「あ、あああああ」 「それは『好きです』と訳せばいいのか、お前独自の言語で」  首を横にシェイクする彼女がわけのわからん奇声をあげる。 「ちっ違っ! も、やあああ!」 「やあああじゃねぇよ!」 「ちょっと! 何してるんですか?!」  タイミングの悪いことに、俺たちの脇をちょうど通りすがったゴールデンレトリバーを連れたおばさんが、俺だけを非難の目で見てきた。 「は? 話しているだけですよ」 「怯えてるじゃないですか!」  決めつけやがって。不審者だと思われてんのか? 「警察呼びますよ!」 「誤解です、やめてくださいよ!」  おばさんは俺の主張も聞かずしてスマートフォンをポケットから取り出した。ガタイのよいゴールデンレトリバーも犬のくせに俺を蛇睨みしている。 「ああもう! 違うんだったら! こら灰垣!」   俺は弁解ひとつせずオロオロしている彼女を横目で見た。しかし全く誤解を解こうとする気配がない。私どうしたらいいかわからないみたいな顔すんな「誤解だから警察呼ばないでください」と説明をするんだよ。 「くっそ……覚えてろよ灰垣!」  諦めた俺はその場で(きびす)を返し、雪の絨毯(じゅうたん)状態の路を全力疾走した。革靴に雪が入って気持ちが悪いが止まれない。  まったく、何故俺が変質者扱いされんといかんのだ!
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