腹を切るのが怖い

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腹を切るのが怖い

「今…、何と申された?」  忠左衛門(ちゅうざえもん)は思わず聞き返した。 「だからその…、腹を切るのが怖いのだ」  内蔵助(くらのすけ)は大して恥らう様子もなく、そう繰り返した。 「太夫(たゆう)…、正気でござるか?」  太夫(たゆう)とは内蔵助(くらのすけ)の異称である。  そして忠左衛門(ちゅうざえもん)のその問いは他の者たちも同様に、心の中で口にしていたことである。 「無論、正気でござるよ」 「いや、到底、正気の沙汰(さた)とは思われぬ。本懐(ほんかい)を遂(と)げ、亡き主君の無念を晴らさんと決意せし時より切腹は覚悟の上の筈(はず)。いや、切腹せねばなるまいと…」 「いや、切腹そのものは怖くはないのだ。もそっと申(もう)さば、死を恐れているわけではないのだ」 「しからば何ゆえにこの場にて腹を切るのを躊躇(ためら)われる?」 「それは…、痛いからだ」 「なに?」 「だから痛いからだ。切腹なれば介錯(かいしゃく)人がおり、三宝に載(の)せられし、刀に手を触れた途端(とたん)、首を落としてくれるであろうが、この場にて腹を切るとなるとそうもいくまいて…」  確かに内蔵助(くらのすけ)の言う通り、この時代にはもう、切腹とは名ばかりで実情は斬首刑と変わりがなかった。実際に腹に刀を突き立てることはなく、その前に介錯(かいしゃく)人に首を落とされ、場合によってはそもそも三宝の上に刀ではなく、扇子(せんす)が載っているケースさえ見受けられた。これを「扇子腹(せんすばら)」と称するのだが、扇子(せんす)に手を触れた途端、介錯(かいしゃく)人が首を落とすのである。  しかしこれはあくまで介錯(かいしゃく)人がいる公式の切腹の場合の話であり、今、この泉岳寺(せんがくじ)にて腹を切るとなると、介錯(かいしゃく)人など居(お)らず、文字通り、「腹を切る」ことになる。
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