3人が本棚に入れています
本棚に追加
***
「紅羽さーん。中坊ビビらせないでくださいよー。というか、お客さんほとんど逃げ帰っちまったんスけど」
困ったように苦笑して言った夕陽の言葉に、そんなもん知るかとばかりに紅羽は、カウンター席に頬杖を突きながら不機嫌そうに座っていた。
マスターに怒られるかなーと落ち込む夕陽に対して、楓はテーブルの上を片付けながら笑顔で言う。
「だいじょーぶ! きっとなんとかなるよ!」
「また楓ちゃん、無責任なことを……」
あ、メールだ、と夕陽の言葉をスルーして、楓は携帯をいじり始める。
ハァと思いため息をついた夕陽は、それから少しだけ心配そうな表情をして紅羽を見やった。
「紅羽さん、あんま無茶しないでくださいよー。“前”と違って、今はそんなに丈夫じゃないんですから……」
ちなみにこのアルバイト、夕陽は“前の記憶”を継承している数少ない人間だ。
心配そうな顔をして告げる夕陽だが、紅羽はどうでもよさげにフンと鼻で笑う。
「何? またなんか、無茶やらかしてるのー? この前だって、いきなり椿を振り切って駆け出して行って、何事かと思って探し回ってやっと見つけたってのに、何でもないの一点張りで、挙句の果てにぶっ倒れたしねー」
携帯をいじりながらも、茶々入れてきたのは楓だ。
紅羽は生まれつき心臓が弱かった。
これは、おそらく“前の記憶”のせいと言うか、“前”の自分の末路の影響というか。
後遺症のようなものといっても過言ではないかもしれない。
おかげで過度な運動はできないし、全力で走り回るなんてもってのほか。
楓の言うこの前とは、学校内でユリを見かけて追いかけた時のことだ。
竜胆と瑠璃の登場により、ユリとはろくに話もできなかったあの後、走り過ぎたことにより無理がたたり、探しに来た椿と楓の前で倒れたのであった。
倒れるつもりはなかったのだが、無茶をしたという自覚はあったため、紅羽は気まり悪そうな表情をした。
腹立ちまぎれに、仕事しろと楓を追い払った。
「そうっすよ。保健室の先生から連絡がきて、紅羽さんがぶっ倒れたって聞いて、俺もマスターも心配したんですから」
「……悪かったな」
補足すると、この保健室の先生も紅羽たちの関係者であり、“前の記憶”も継承している。
だから一応、真っ先に“今”のユリについて聞いてみたが、腹立たしいことに見事にはぐらかされた。絶対に知っているに違いないのに、この保健医は頑なに口を割らず、武力行使に走ろうとした紅羽を椿が止めた。
ならば、情報通の皐月に聞こうかと思って店に来たのだが、当の本人は逃亡している。
椿の様子もおかしかったし、これを怪しまずにいられようか。
普段から何か隠しているなとは思っていたが、まさかそれがユリ絡みだとは思っていなかった。
そこで、あぁそうだと紅羽は思いついた。
皐月がいないなら、夕陽に聞いてみるのもありかと。
同じ店で働いているんだし、同じく“前の記憶”を継承しているわけだから、皐月が何か隠していることについても知っているかもしれない。
「……夕陽。てめぇは何か知ってんのか?」
カウンター席を回転させて振り向いた紅羽に、夕陽が首をかしげる。
「何をですか?」
「アイツらに関する情報」
紅羽の言葉に目を丸くした夕陽は、口を開こうとして、
「あ、すんません、メールだ……」
と、携帯を取り出す。
それを見ながら、紅羽は独り言のように続ける。
「皐月が何か怪しい」
「マスターが?」
「店にいて、なんか心当たりないか」
携帯を見ていた夕陽が、えっ、とやや強張ったような笑みを浮かべた。
急に落ち着きなく目が泳ぎ始める。
「こ、心当たり、ですか……」
紅羽の黄金の瞳が不審そうに眇められた。
「特に、思い当たらないっすね」
「店に、アオイとか“覚えている”あっちの連中が来たことは」
「な、ないと、思いますよ?」
どうも歯切れが悪い。
それだけでなく、夕陽は紅羽と視線を合わせようとしない。
これは皐月に口止めでもされたか。
「……今のメール、誰だ」
「つ、椿ちゃんからです」
「皐月だろ」
「いえ、椿ちゃんからです。明日のシフトの件で……」
「じゃあ見せろ」
「えっ」
「見せらんねぇのか」
「い、いえ、えっと……」
見るからに焦りだす夕陽を見て、紅羽の表情が険しくなる。
「嫌なら今すぐ皐月に伝えろ。さっさと情報吐かねぇとてめぇの秘蔵の酒全部割るって」
「それはヤバイよー。そんなことしたらマスターが卒倒しかねないよー?」
そこへ再び割って入ってきたのは楓だ。
「ところで何の話ー? のけ者にしないでよ」
ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべて言う楓に、明らかに夕陽が安堵する。
テーブルの片づけが終わったのか、やってきた楓は紅羽の前に、サービス♪、とコーラを置いた。
「てめぇには関係ねぇ」
「うわーひどーい。差別だー。紅羽の意地悪ー」
正しくは関係ないというか、“前の記憶”のない楓には話しても意味がないというか。
未だに男ではなく女である楓に紅羽は戸惑う。
夕陽のように執事服ではなくメイド服を着ていることも、違和感はないが慣れない。
「じゃあ、ユリについて何か知ってること教えろ」
「え? あー……あの、同じ学校の上級生にいる、深窓の御令嬢?」
楓ちゃん、と咎めるような声を夕陽が上げたが紅羽は無視する。
楓も口をつぐむことなく、目を瞬かせて紅羽を見やると首をかしげて続けた。
「この前は、学園のプリンスのこと気にしてたよね。というか、彼女、紅羽と同学年なんだから、違う学年のこっちより、紅羽のが詳しいんじゃない?」
「わかんねぇから聞いてんだろ」
「教室行って直接会って聞けばいいじゃん。あとクラスメイトに聞いてみるとか」
「行ってもいねぇし、クラスメイトの証言なんざ役にたたねぇ」
「うわーホントにやったんだ」
自分で提案しておきながら、すでに実行していた紅羽に対して微妙な表情をする楓。
紅羽は無言で楓の頭を殴った。もちろん左手で手加減はした。
「痛ッ!? 女の子殴るなんてひどーい! 暴力はんたーい!」
「……あぁ、女だったな」
「うわぁ何それ!? まさかの女と認識されてないオチ!?」
「……左で手加減しただろ」
「そもそも殴るとかありえないし! あーもー……せっかくいい案あるのに教えるのやめよーかなー」
ニコニコと笑みを浮かべつつも、意地悪い顔をして言った楓の言葉に紅羽は目の色を変えた。
「何かあるのか」
「知りたい?」
もったいぶる楓に紅羽はさっさと言えとばかりに睨みを利かせる。
普通の人ならその鋭い眼光に怯えるか恐怖するかに分かれるが、楓はそれをまったく臆することなくニッコリと笑みを浮かべ、紅羽を見上げると小首をかしげて言った。
「お宅訪問すればいいじゃん」
***
最初のコメントを投稿しよう!