脆く儚いあの人の執事とあいつの傍で見守り続ける少女

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*** a girl and butler *** 皐月と瑠璃と別れた椿は、一人街中を歩いていた。 今後、どう紅羽と接していこうかと悩みながら、なんとなくまっすぐ帰る気にはなれなかったので家路とは反対の方向へと歩いていく。 だがしかし、学園のプリンセスと称されるほどの美少女である椿が無防備にたった一人で歩いているとなれば、わらわらと寄り集まってくる虫けらどもがいるわけで。 「どうしたの君、一人?」 「ちょっと俺らと遊ばなーい?」 なんて常套句を口にした男たちに、マズイと気が付いた時には囲まれてしまった。 日頃から最強の不良の典型例とでもいうべき紅羽と一緒にいるだけあって、見知らぬ男たちに囲まれようが、椿にはまったくと言っていいほど恐怖心は湧いてこないのだが。 「…………もう帰るので」 できるだけ視線を合わせないようにしながら、なんとか逃げようと試みたが、予想通りと言うか行く手を阻まれる。 「そうつれないこと言わないでさ」 「少しくらい、いいじゃーん」 紅羽といれば、こういう輩に絡まれることはないし、楓といれば、絡まれても穏和に逃げることができる。 けれども、今はどちらもそばにはいないために、椿一人で切り抜けなければいけない。 情けないことに、どうしようという思いが膨らんでくる。 「お茶でもしようよ、俺らがおごるからさ」 「ね? いい店知ってるんだ」 戸惑っているうちに、腕を掴まれた。 反射的に嫌悪感から鳥肌が走る。 「放して――」 「――おい」 不機嫌な声が降ってきた。 聞き覚えのある声にハッとして振り返ると、黒いコートに身を包んだ若者が、男の腕を掴んでいた。 「あ? なんだよ」 「……群れてんじゃねぇよ」 若者の黒縁眼鏡の奥の瞳が不愉快そうに細められた。 若者は、掴んでいた男の手を力づくで椿から引きはがした。 ギリギリと腕を締め付けられた男が痛みに喚いた。 「なんだ、てめぇは!」 「…………面倒くせぇ」 忌々しげに舌打ちした若者は、素早く椿の手を取ると、一目散に駆け出した。 男たちはその若者の言葉に一瞬呆気にとられた。 「あっ、逃げやがった!?」 **εεεεεヾ(*´・ω・`)ノヘ(* - -)ノ** 椿は手を引かれるままに街中を走り抜け、瞬く間に追跡を振り切った。 若者は、街の憩いの場でもある、小さな広場に入ってようやく足を止める。 椿は息を整え、落ち着くのを待ってから、まだ辺りを警戒している黒コートの背中に声をかけた。 「――竜胆」 ピクリと肩が揺れ、竜胆の黒縁眼鏡の瞳が椿を振り向いて見つめる。 「……何、一人で歩いてんだよ」 ぶっきらぼうに放たれた言葉に、目的もなくぶらついていたと言い出せなくて椿は気まり悪げに嘯く。 「……帰宅してる、最中だった」 「嘘つけ。家反対だろうが」 即刻見破られた。 今にも舌打ちしそうな雰囲気の竜胆の追及を逃れたくて、椿は苦し紛れに話をそらす。 「…………竜胆は、どうしてここに」 椿には尋ねておきながら、問われた竜胆は答えることなく、クルリと背を向けると離れていく。 何処へ行くのかと見守っていると、自販機に向かって歩いていき、飲み物を購入して戻ってきた。 ほら、と手渡されたのはいちごミルクだ。竜胆の手には無難にお茶だ。 確かに、街中を走り回って喉が渇いていたのでありがたく受け取る。 「……暇なんだろ」 ちょっと話に付き合えよ、と呟かれて、断る理由も思いつかなくて椿は頷いた。 小さな広場のベンチに腰掛け、しばらく沈黙したまま喉を潤す。 ハァとため息をついてから、先に口を開いたのは伏見だ。 「…………このままだと、“前”の二の舞じゃねぇの」 低い声音で呟かれた言葉に、ピクリと椿の肩が震える。 「……紅羽は、あげない」 幾分強張ったような口調で返した椿に、竜胆は苦々しげに言う。 「こっちだっていらないんだよ。……つーか、おまえがちゃんとアイツ捕まえといてくれれば、こっちの仕事も少しは減るんだけどな」 わかっている。でもどうしようもないのだ。 これでも精一杯やってきたつもりだが、それでも紅羽はあの人を求めるのだ。 その頑なな意志を、迷いのない意志を、椿は止めることができない。 「それが、できれば……苦労は、しない……」 俯いた椿が今にも泣きそうな表情をしていることに、そこで竜胆は気が付いた。 「チッ……悪かったよ」 言いすぎた、と謝罪する竜胆に、椿は小さく首を振る。 「紅羽は……あの人が、大切」 椿の言葉に、竜胆は皮肉な笑みを刻んで嘯く。 「どうかな……」 放たれた言葉の響きに深い哀しみを感じて、椿は顔を上げると静かな瞳で竜胆を見やった。 竜胆は視線を感じながらも、見返すことなく視線をそらすと、どこか遠くを見るような目つきになる。 そして、誰にともなく問いかけた。 「……この世界で、あの人は何回記憶を“思い出して”、何回“消えて”いった?」 椿は答えない。 竜胆も返答を期待している様子はなく、ただ淡々と独白していく。 「“前の記憶”に関わる誰かがきっかけとなって、あの人は“前の記憶”を思い出す」 そう、彼女はこれまでに何度も“前の記憶”を思い出している。 それは、竜胆と出会った時、椿と出会った時、瑠璃や皐月、藤などと出会って、“前の記憶”を取り戻している。 「そして、その度に――自ら消えて逝く」 まるでその記憶の柵から逃げるかのように。 ――私は、この世界に必要のない存在 そうすることでしか、記憶という名の鎖による束縛から逃れられないかのように。 ――前の私という記憶は、今のわたしには必要のないもの 淡々と紡がれたあの人の言葉を思い出す。 「あの人という人格は、これまででいくつ消えて逝った?」 やはり椿は答えない。哀しげに瞳を伏せて、黙っている。 竜胆も答えを待つことなく淡々と続ける。 「いつもいつも、毎回毎回、あの人は消えようとして――結局、命に別状はない怪我で済む」 それはまるで、世界が彼女を生かそうとしているかのようで。 無理矢理この世につなぎとめようとしているかのようで。 神が、彼女が死ぬことを許さないかのようで。 「だけど、記憶を思い出した人格だけは消えて逝く」 その様子を、椿も見たことがある……否、実体験として経験した。 「何度も思い出して、何度も忘れて」 なのに、こっちはそれを全て覚えているのだ。 「何度も思い出して、そのたびに消えて逝く」 竜胆の表情が哀しみに歪んだ。 「前の記憶を思い出したあの人の人格が」 その相手がきっかけで思い出した人格が消えた場合、二度とその相手がきっかけとなって“前の記憶”を思い出すことはない。 つまり、椿と出会ったことにより、“前の記憶”を思い出した彼女の人格が消えた場合、以後椿と出会っても、もう椿がきっかけとなって彼女の人格が“前の記憶”を思い出すことはないということだ。 ただ、消えた人格とともに、その相手に出会ったという事実もリセットされることになるのだが。 「これを、壊れてると言わずして何て言うんだろうな?」 その問いに、椿は答えられない。 ***
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