脆く儚いあの人の執事とあいつの傍で見守り続ける少女

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*** 椿を家まで送って百合の待つ邸宅に帰宅した竜胆は、離れにある彼女の部屋へ足を運んだ。 部屋の中に気配があるのを確認し、一声かけてから竜胆は襖を開ける。 「――お嬢様」 「……誰?」 おそらくさっきまで寝ていたのだろう、彼女はややぼんやりとした様子で竜胆を見上げた。 もともと色白であるとはいえ、今日もあまり顔色がいいとは言えない。 ぼんやりとした表情の彼女が、ガラス玉のような“灰色の瞳”で竜胆を見据えた。 直後、表情がきっと引き締まり、彼女の雰囲気が凛としたものとなる。 「……あら、“アオイ”。どうしました」 まるで別人格が浮かび上がってきたかのように。 いや、事実、その通りなのだ。 彼女がその名で竜胆を呼ぶということは、そういうことだ。 アオイは、昔の名前。 今、現在、竜胆は〝アオイ″という名前ではないのだから。 竜胆は枕元にお茶を置いてから、彼女に尋ねる。 「気分はどうですか? 眩暈とか、頭痛とか、だるいとか、ありませんか?」 「今日はいくらか調子がいいです」 そう言って微笑んだ彼女の様子に、竜胆は少しだけ安堵する。 それから竜胆は、今日あった出来事を彼女に語って聞かせる。 言葉を選んで、時には真相を隠しながらも、外の様子を彼女に語る。 最初は竜胆の言葉に聞き入っていた彼女だが、途中からその表情が抜け落ち、再びぼんやりとした表情になる。 「お嬢様……?」 彼女の様子に気が付いた竜胆は、まだ今日も安定しないな、と内心で舌打ちする。 雪が降る季節には、彼女の人格が移り変わりやすくなるのである。 ふいに、ぼんやりとした様子の彼女は眠たげな“灰色”の瞳を瞬かせると、緩慢な動作で竜胆を見上げて呟く。 「夢を見るんです――」 彼女は竜胆から視線をそらすと、灰色の瞳で縁側に接している障子を見据えた。 その姿が、あまりにも透明で儚く見えてきて、目を離したらどこかに消えてしまいそうな、そんな気配を感じて竜胆は息をのむ。 虚ろになったその瞳で、障子を通り越して、外の世界を見つめるているかのように。 ここではない、どこかを見据えているかのように。 こんなに近くにいるのに、翳りを帯びた彼女の姿が急に遠くなったように感じられて。 「――真っ白な世界に」 それはここではない世界。 「鮮やかな赤い色があって」 それは思い出さなくていい出来事。 「白い世界を」 その瞳はもはやこちらを見ていない。 この世界を見ていない。 「赤い色が染めていくんです」 淡々と、淡々と、言葉が紡がれる。 「けど、だんだんと赤い色は、また白く塗りつぶされて」 その手が、肩が、声が、 無意識に、無自覚に、 震えていることにすら気が付かない様子で。 「世界は、また真っ白に――」 見ていることに耐えられなくて、竜胆は彼女の身体を抱きしめた。 彼女を現実に、“こちら側”に引き戻すように。 強く、けれども壊さないように、優しく、そっと。 その華奢で小柄で細くて脆くて頼りない身体を抱きしめる。 「――夢ですよ。それはただの夢です」 言い聞かせるように囁く。 懇願するように呟く。 何も思い出さなくていい。 もう、思い出さなくていい。 もう、忘れてしまっていいことなのに。 だって、もう、 貴女は、あの人たけど、あの人ではないのだから―― 「――“アオイ”」 それでも彼女は、もはや何度目になるか数えたくもない言葉を囁くのだ。 ――私は一体、誰ですか? ***
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