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マッチョ、にぎる
目の前の炊飯器からふつふつと、幾つもの粘り気ある細かな泡が弾ける音が聞こえ始めた。
――来たか。
きつく目を閉じ、腕を胸元で組んだまま静かに仁王立ちで佇んでいた俺の耳に、それは福音を告げるラッパにも等しい歓びを届けた。
思わずフロント・ダブル・バイセップスを決めたい衝動に駆られる。
だが俺は、すんでの所で両腕を解き、ぷらぷらと両の手首をほぐしつつ軽く地団駄を踏みながら強めに息を吹き出して、全身の筋繊維一本一本へと「弛緩せよ」との命を下した。
ごりごりと首を振り、僧帽筋の凝りを解してから、再び仁王立ちへと戻る。
急いてはいけない。
これではあまりに時期尚早だ。
ここで逐一ポージングしているようでは、ゆくゆく燃料の枯渇した肉体は生命維持すら満足にこなせなくなるだろう。
メメント・モリ。
美しい筋肉を得、それを維持するためには相応のリスクを常に支払い続ける必要があるのだ。
故にいたずらな消耗は避けなくてはならない。
――まだ、二十分。
まだたった二十分だ。
待ち時間は未だ四十分を残し、序破急に例えるならば「破」の扉をようやく開けたに過ぎない。
何の響きもない退屈な時間を終え、ようやくいくらかの化学的反応が見られ始めた頃合い。
続く展望、そして来たるべき結末へと至る未来に心躍らせつつも、静観し、事の成り行きを見守るべきタイミング。
ここで逸っては意味が無い。
気持ちを抑え、俺は騒ぎ立てる腹の虫を抑え込むように腹直筋へと力を込める。
ところがそれは逆効果だったようで、からっぽの胃はぐるるると、目の前の小さな噴出口から幾重にも響いてくる可愛らしい破裂音をかき消してしまうほどの大きさで、気性の荒い獣の唸りのような音を立てた。
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