マッチョ、にぎる

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 ――あと、二十分。  時は既に十九時過ぎ。  泡沫の舞踏は独特の甘やかな匂いを含んだ蒸気へと変わり、すぐそばで立ち尽くす俺の周囲を取り巻いては、いたずら好きの妖精の如くに鼻腔の奥をくすぐった。  ――おお、炊飯器よ。  俺は知らず、彼を褒め称える。  おお、炊飯器よ。おまえはどうして炊飯器?  暗く冷たい工場で安物の粗悪品として産まれ堕ち、粗雑に箱に詰められて、新規に入居する学生を狙う新聞業者のダメ押しとして俺の元へと辿り着いたおまえ。  それから幾度となくおまえは俺の食卓に、文句の一つも言わずに主食を提供し続けてくれた。  不満はないか?  釜の一部が剥げてしまっているが大丈夫か?  行き先も知らぬ小さな穴へと吸い込まれてゆく蓋を開けた瞬間の水分は、あれは一体どこに消えているのだろうね?  ――あと十分。  この辺りになると、蒸気も成りを潜めてしまう。  後はただ粛々と、炊き上がりつつある白米を、蒸らし、仕上げるのみ。  おそらくここで蓋を開けたとしても、やや水っぽく仕上がるだけで食することに何らの問題も無いはずだ。  だがそれを敢えて我慢する。  職人の納得がいくまで待ち続け、完成の暁にはそれを全力でもって祝福する。  それだけが、事ここに至って俺が彼に出来る全てだ。  刻一刻と、彼の液晶に表示された「残り時間」のデジタル表示が若くなってゆく。  その移ろいのひとつひとつに合わせ、湧き出した唾を飲み込む。  嚥下するたび、唾はその濃度と粘度を増していった。  固形物を待ちわびる胃の腑が、今度こそ、今度こそはと蠢いては、期待外れの結果に癇癪を起こし、抗議の声を挙げる。  ――まあ待て。もうすぐだ。  宥めるように、鳩尾の辺りを撫でさする。  自慢のシックスパックも力を抜いた今はとても柔らかくしなり、余す所なくその意図を中尸の虫へと伝えた。  最後のカウントダウンが始まる。
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