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良かった。いや、良くないのだが。
相変わらず理不尽な要求は品川にとって良くない事だが、
彼女が理不尽な要求をしてくるという事は、元気とやる気があるのだ。
それが良かった。
絵も大分進んでいる。この様子だと無事間に合いそうだ。
クオリティも十分魅力的で素晴らしい。
このレベルであれば、千里 伸隆も悪い顔はしないだろう。
正直に言えば、前作と比べると多少見劣りするのは否めない。
だが、贅沢を言っていられる状況でない。
あの天王寺 深緒が、傑作の後にこれだけの絵を描くことができたのだ。
しかも、自分がモデルの絵で。
品川 実は、心がジワジワと満たされていくのを感じた。
もう十分だ。
彼女は、やり遂げたのだ。
その時である。
太郎が忍び寄って来て、キャンバスに飛びかかった。
イーゼルが倒れ、積み重なったペンキ缶にぶち当たる。
激しい音を立てて崩れるペンキ缶の山。飛び散るペンキ。
天王寺と品川はペンキまみれになって、何がなんだかわからない。
二人だけではない。
品川を描いていたキャンバスも、ペンキまみれでめちゃくちゃだ。
棒立ちになりながら、何が起こったのか理解しようと必死に頭を回す品川。
「あ…あ…」
目の前の惨状に言葉を発することができない天王寺。
ただただキャンバスを眺め、へたりこんで呆然としている。
何故太郎はこんな事を?品川 実は考える。
決まっている。
太郎の朝ご飯だ。すっかり忘れていた。
いつもは品川がエサをやっていたが、今回は寝込んでいた為に出来なかった。
天王寺は作業に入るとアトリエに太郎を入れない。
品川がアトリエの扉を開けたことによって、太郎の侵入を許してしまった。
それに侵入を許したとしても、ご飯をちゃんとあげていればこんなに暴れることはなかったのだ。
完全に自分のミスだ。と、彼は思った。
こうなったら描き直すことなど不可能だ。
締め切りは今日の夜。新しく描いて間に合うはずもない。
重苦しい沈黙がアトリエを包む。
全てが、終わった。
品川はやっとの思いで言葉を並べる。
「先生…すみません。
僕が寝込んでいたばかりに太郎の…あの、ちょっと先生、もしもし、聞いてますか?」
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