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リゼ。眺めていた寝顔に、突然名前を呼ばれて動揺した。寝言ともひとりごとともつかないそれにどう反応しようか考えあぐねていると、彼はゆっくりとまぶたを開けた。
「ん、起きていたのかい」
なんだか気持ちが昂ぶって、浅い眠りと覚醒をくりかえしていたなんて、なんとなく恥ずかしくて言えなかった。熱い腕は裸の肩に、ゆっくりと毛布を掛けなおしてくれる。
「起こしちゃいましたか」
「いや。見ていた夢に突き放されてしまった」
怖い夢ですか。探るように問いかけると、彼は枕に頬をこすりつけるようにしながら首を横に振った。
「すごく幸せな夢だった」
なぜか軽い嫉妬をおぼえた。夢に嫉妬したところでどうにもならない。どんな夢を見たのかすらわからないのに、不可解な感情は喉の奥でくすぶっている。自由に動かせる左手で、彼の髪の毛を触った。いつもはしっかりとスタイリングしておさえているようだが、彼は強い癖のある毛質のようだ。
「馨さんの髪の毛って……なんだかかわいいな。トイプードルみたいで」
「柄じゃないかな。天使みたいだと言ってほしい」
「それこそ、もっと違う気がします」
毛布のなかにふたり頭までうずめて、ひとしきり笑った。彼がかつて好きだった相手とも、こんなふうにして笑ったことがあったのだろうか。
「ねえ、馨さんの昔の恋人と、俺はどこが似てたんですか」
右手が左手をゆっくりとさらってくる。薬指を縛られた左手。カーテンから漏れる夜の光で鈍く光るプラチナ。傷ひとつついていない表面を、指先がそっとなぞる。
「天使みたいなところかな」
「あ、嘘だ」
「ほんとうだよ。あと、いい匂いがするところ」
あなたはそればっかりですね。言いながら、自分も彼の首筋に鼻を寄せて息を吸いこんだ。出逢ったときから変わっていない香水の匂い。彼もおなじように息を吸いこんだ。自分はどんな匂いがするのだろう。
答えをくれることはないけれど、それでよかった。彼はいつもそのあとにやさしいキスをくれる。
「天使がつぎの機会をくれなかったら、きみに逢えることもなかった」
「やたらと天使にこだわりますね」
「そうだね。僕の生き方そのものが変わってしまったから」
その抽象的なモチーフに対して適切な言葉を返すことができなかったので、こんどは自分から指を絡めてごまかした。自分だけがどこか置いてきぼりにされたようでさみしかった。しかし、沼の底から引き上げられるように手を握り返される。いま落ちこんでみてもしかたがない。
枕元のデジタル時計が深夜二時に変わるのが見えた。そういえば明日の朝のアラームはセットしただろうか。そわそわしていると、すべてを察したかのような彼の笑顔。
「きみはいつも六時に起きるね。起こしてあげるから、安心して眠っていいよ」
なにもかもがスマートで驚いてしまう。どうして自分の考えていることが、いつもわかってしまうのだろう。
「わかるよ。きみのことならなんでも」
日付は変わっていても、眠って目が覚めるまでは今日だ。ふたり揃ってふたたび眠りにつけないまま、明日のことを想う。
「明日は土曜日だね。また、店に行くから待っていてほしい」
「馨さんは、明日はなにを注文してくれるんだろう」
「もう決まっているよ。ラプサンスーチョン」
出た出た、とつい笑ってしまう。それでも、彼がこの紅茶を注文するのはきまってなにかあるときだ。なにも訊けなかったが、それは彼の顔を見れば一目瞭然だった。
「いま幸せなんですね」
「当然。きみはどうかな」
「俺は見たままですよ」
わからない、言葉にしてほしい。めずらしく意地悪を言われてとまどったが、たまにはいいかと息をつく。しかしひどく恥ずかしいせいで、繋いだままの手で顔を半分覆った。
「幸せですよ」
ごくありふれた幸せのなかにいる。幸せというものは結局、陳腐なくらいでちょうどいい。
「ありがとう。最後に出逢えたのがきみでほんとうによかった」
最後なんですか。ああ、最後。最後ってどういうことですか。最後は最後だよ。
「あの紅茶を飲むとね、きみをずっと大切にしようと誓ったことを思い出す」
だから手放したりしないよ。もうおやすみ。
抱き寄せられて、ふたたび彼の体温のなかに溶けていく。なにもかもが心地いい。彼のとなりも。このベッドも。縛りつけられる感覚も。この薬指がすべてを繋ぎとめてくれているなら、不安になることなんてなにもない。
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