第十一章 老兵行脚(続き)

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そしてそれは和歌に限らず、私が書く小説・詩・シナリオ等でもやはり同じことになってしまうのですが、しかし最近ではこのような蛮行を受ける身であればこそ、見えてくるもの、抗うべき世の不条理さというものが、具体的に捉えられる気もするのです。不滅の一葉文学に零落が必要だったように、私も今のこの「えも云われぬ」苦しみを、必ずや作品の核に為したいとも思っています…。  もっとも私だって本来は花鳥風月、もしくは和歌の十二部立てを詠みたいわけです。あるいはもし私に和歌の系譜を語らせてもらえるならば、生意気に一家言も二家言もありまして、古くは万葉集から現代短歌にまでいたる‘進歩のありさま’というものを掲げてみせて、そこからこそ、わが本懐の歌を詠んでもみたいわけです。ではそれは何かと申しますと、ひとことで申せば「魂からの歌」となります。すなわち部立ては「魂」です。短い言葉では斯く云う論旨を述べ切れませんので、次回か次々回に私の「和歌評論」をご披露したく存じます。和歌ともどもご高読賜りますようお願い申し上げます。                       ―平成31年(新元号元年)1月4日記 image=512624126.jpg
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