だれかのもの

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 時は明成二十五年。ここは新江戸市街の中心部。かつて急速な発展を遂げた世界は、やがて何もかもを失ってしまった。混乱した人々は長きに渡り戦のなかった古き良き時代を思い出そうという懐古主義に行き着き、その結果日本は古の文化を守る為鎖国に乗り出した。  高層ビルと長屋が隣り合い、番屋の隣には赤いパトライトを掲げた交番。新江戸市街はそんな不思議な街となった。街行く人々は皆着物を身に纏い、その癖に丁髷は頑なに拒絶した。アンバランスな国。  だがいつの時代も、人の欲だけは変わらない物だった。  深紅の格子の隙間から、ゆうらりと手を招く。月明かりに透けるしろい指先は、妖艶に揺蕩いながら近付く男の襟元へと絡み付く。  闇夜の瞳に月を侍らせ、薄く紅を引いたくちびるをひっそりと開き、控え目な、然れど官能を握る蠱惑的な声音で引き寄せて、一夜だけ、だれかのものに────。
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