私の大切なあなた

10/20
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
そうだ。あの時。交際にオッケイするまで何故一年以上かかったのか聞いた時に今日子さんから聞いた覚えがある。もう少し若い頃、今日子さんは結婚するはずだった人がいた。その人はもう死んでしまって……。それでも忘れられない大切な人だから、好きな人ができたから付き合いたいってお墓に報告へ行きたかったのだと。そう決心するまで時間がかかったんだって。それで俺は、どこまで行ったのって今日子さんに聞いたんだった。その時聞いた地名が、目の前にあった……。  草介は発券機に硬貨を入れたものの、躊躇した。これであっているのか? というか、今日子さんが死んだ恋人に会いに行ったなら俺は彼女の帰りを待つのが本当じゃないのか。ああ、でもそれじゃなんだか負けた気がして嫌だ。相手は死んでいるって分かっていても心がざわつく。今日子さんが他の奴に会いに行くってだけでもうだめだ。耐えられない。ああ、でも死んだ相手にまで嫉妬するなんて引かれるかも。  どうする?  迷いで固まった草介の背中に誰かが当たった。体がぐらりとかしいで、あっと思った時には発券ボタンを押してしまっていた。  切符を握って振り返ると紺色のスーツの背中が改札を抜けて行くところだった。  だるいよー。  ねえ、いつも熱っぽくてさ、だるいんだ。  チクチクチク。  今日子は下腹部に手を当て、浅く息を吐き鈍い痛みを拡散させる。途中で買った花束を二つに分けて暮石の両脇に刺して線香の束に火を点ける。寺の裏手の墓地の向こうには果樹試験場が広がっていて、敷地内の小高くなった一角には樹齢四百年と言われる桜の大木がそびえている。  緑の葉を茂らせる桜の木を見ながら今日こはすんと鼻をすすった。  蝉の声がうるさい。     
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!