高い雲に叫ぶ

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「あの」 彼を見た時あからさまに後ずさってしまった。それを見た朝子が田中君に近寄った。 「申し訳ないんだけど、田中君帰ってくれる」 「え」 今来たばかりの田中君がこわばっていた。右手に鞄、左手にはイーゼルとカンバスを持っている。鞄には絵の具が入っているのだろう。海水浴に来るには大げさな荷物だ。 「事情が変わったの。さっさとうちに帰りなさい」 朝子の言葉にうろたえる田中君を見て、何だかおかしくなった。朝子は私のことを気遣っているのだろう。 「田中君が一緒でもいいじゃない」 声をかける私に朝子は「ほんとにいいの?」と真顔で問いかけた。 「ほんとにいいの?田中君が嫌いじゃ無かったの」 電車の中で隣に座った朝子がそっと耳打ちしてきた。 「そんなことないよ。ただのクラスメイトだから」 ただのクラスメイトという言い訳が田中君を嫌いじゃないという理由にはならなかったが、朝子は納得した様だった。そのあと、朝子がポツリと呟いた。 「でも、あいつ。水着を着た私達を描く気かも」 海水浴にわざわざ絵の道具一式を持ってくるなんてあやしいと朝子が指摘した。それについては否定できなかった。 朝子が佐藤さんを廊下で海水浴に誘っている時、通りかかった田中君を反射的に誘ってしまったらしい。そんな理解しがたいいきさつで田中君はここにいる。同情したいが田中君が素直に来た真意もわからない。4人のうち3人が女子というバランスも理解できない。せめてもう一人ぐらい男子誘ったほうがよかったんじゃないのと思った時に唖然として水着が入っている鞄を見た。朝子にそそのかされるまま、ちょっと大胆なビキニの水着を買ってしまっていた。運動不足でお腹がほんのちょっとだけど、出ちゃってる。クラスの男子に見られたくない。ましてや、先生に見られたらと考えるとなんとも言えないもやもやが胸に広がっていった。 ガタンガタンと電車が音を立てて定期的に揺れる中、私は前を見据えてじっとしていた。朝子が佐藤さんに何やら話しかけている声が聞こえた。田中君の声は聞こえない。私と同じ様に沈黙を守っているのだろう。到着駅への案内のアナウンスが聞こえるまで、私はずっとその体制を保っていた。
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