第1章 越してきた|女性《ひと》

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「お前……病院の見舞いじゃないんだぞ」 「蕎麦はね、『側にきました』っていう言葉遊びの意味と、『細く長くよろしくお願いします』って意味なのよ」  親父にティッシュ箱を渡しながら、母さんが説明してくれた。 「ふーん、なるほどね」 「マモル、お前も大学生になったら独り暮らしするんだろ。ちゃんと『引越し蕎麦』配らないとな」 「えー、面倒くさいよ。てゆうか、そんなのウザがられるよ」 「都会じゃ、かえって敬遠されるのよ、お父さん」 「まぁ……そうかも知れんなぁ」  親父は、何度目かの蕎麦のお代わりをしながら、渋い顔をする。 「ところで、その……早川さん? どんな感じの人なんだ?」 「ええ。ヒカリちゃんくらいの歳の女性でね、独り暮らしだそうよ」  あの女性だ。母さんも、ヒカリ姉ちゃんをイメージしたのか……。 「ええ? あの広い家に独り切りか?」  お隣は、古いが小さな家ではない。  空き家になる前は、6人家族が10年近く住んでいたっけ。 「まぁ……寂しいでしょうねぇ……」  母さんは、何か思いついたような表情を浮かべた。  後から考えると、親父のこの一言がなければ、あんなことにはならなかったのかもしれない。 -*-*-*-  3日後。  高校から帰った僕は、玄関にズラリ並んだ女物のサンダルにゲンナリした。  母さんのオバ友会だ。  この辺りの地域は、親や祖父母の代から古く住んでいる人が多い。ご近所の五軒に止まらず、町内会ぐるみで人と人との繋がりが強い。一旦溶け込めば、心強い支えになるが、新参者には高いハードルだ。  スニーカーを脱ぎながら、オバチャンには似つかわしくない白いローヒールに気がついた。  ――もしかして……。  笑い声の溢れるリビングのドアを開ける。 「ただいまー」 「あらマモル、早いわね」  ソファとダイニングを、ご近所の見知った顔が占拠している。こんにちは、と誰に言うともなしに挨拶した。
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