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「……おい、ヨウヘイ」
「何……あ」
つつかれたヨウヘイは、視線の先に気付く。
シンクに向かっている夏美さんの表情は分からないが、やや俯いているようで、小さな背中がちょっと上下している。
俄に、ヨウヘイはキッチンへ駆けた。
「――おい」
「大丈夫ですか?!」
デリカシーのない行動に思え、引き留めようとしたが、その前にヨウヘイのバカスピーカーが唸る。
「まだ具合悪いんじゃ――」
「――来ないで!」
涙声なのに、拒絶する。
ビクン、と一度は足を止めたものの、すぐにヨウヘイは夏美さんの側に並んだ。追い詰められたウサギみたいに怯えた表情で、彼女はヨウヘイを見上げた。その頬が濡れている。
「ごめんなさい、夏美さん。オレ、バカだから――あなたの顔が見たくて……無理に押し掛けて」
「……違う、違うの。あなた達が悪いんじゃない」
ヨウヘイを見つめたまま、何度も首を振る。
「私は、陽平君にも、マモル君にも、マモル君のお母さんにも……優しくしてもらう資格なんてないの」
少し離れたリビングとキッチンの境界にいた僕からも、夏美さんがポロポロと流す涙が見えた。
「優しくされるのに、資格なんているんですか」
ガキなりに、熱い言葉だ。僕が女なら、ホレたかもしれない。
夏美さんは目に見えて動揺していた。
ヨウヘイの誠意に満ちた一言は、彼女の何かを砕いたらしい。青白い頬に、一筋、朱が差したようだった。
「――ありがとう……でも、今日は帰って。2人とも本当にごめんなさい……」
帰り際、夏美さんに笑顔はなかった。大きな瞳が、ヨウヘイの薔薇よりも赤く見えた。
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夏美さんが泣いたことは、暗黙の了解で僕らのトップシークレットになった。
「やっぱ、オレじゃ頼りないんだよな」
「いや――お前、カッコ良かったよ」
「……嬉しくねぇよ」
傷心のヨウヘイを僕なりに労り、近所の公園の前まで送った。
「マモル、オレ、諦めねぇからな」
「――おう。逆転サヨナラホームラン、期待してるぜ」
「……任せとけ」
軽口に乗せていたが、僕はヨウヘイを見直していた。先刻、強引にキッチンへ踏み込んだ情熱を、かなり本気で応援していた。
「じゃあ……また明日な」
「ああ。サンキュ、マモル!」
公園の入口ゲートの前で、僕らは別れた。
ヨウヘイは近道するため、公園の中を突っ切って行った。
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