第1章 越してきた|女性《ひと》

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「マモル、こちら早川夏美さん。お隣に越して来た方よ」 「こんにちは、お邪魔してます」 「あ……こんにちは」  淡いピンクのサマーセーターの女性が、ソファから立ち上がって会釈した。  やっぱり、引っ越しの朝の赤いレインコートの女性(ひと)だ。  夏美さんは、『初めまして』と言わなかった。一度会っていることを、彼女も覚えているのかもしれない。  挨拶を交わすと、彼女はオバサンたちの話の輪に戻っていった。 「母さん、何か食うものある?」 「はいはい」  母さんはキッチンにパタパタやって来ると、オバ友会の余りとおぼしきクッキーとせんべいをくれた。 「飲み物は適当に持って行きなさい」 「うん」  ソファに戻る母さんの背を追うフリをして、僕は夏美さんを盗み見た。  ススキの中の撫子のように、控え目な佇まいながら、はっきりと目を引く存在感がある。身長は160cmくらいだろうか、ショートカットの小さな顔に、くりっとした瞳が印象的だ。特別美人という訳ではないが清潔感があり、何よりこんな片田舎には似つかわしくない、垢抜けた雰囲気に惹き付けられた。  少なからず早い鼓動を意識的に無視して、僕は2リットルのコーラを抱えて、リビングを出た。  背後で、オバチャン達の喋り声や笑いが、さざめいていた。 -*-*-*-  それからも、母さん主宰のオバ友会は定期的に開かれた。時々見かける夏美さんは、母親以上も年上のオバチャン達に囲まれて、それでも笑顔を絶やさずに頑張っているようだった。 「……とにかく大人しい人なのよ。自分から話を広げない、っていうか」  夕食後、バラエティー番組を見ている後方から、会話が溢れてきた。  どうやら母さんが、親父に愚痴っているらしい。 「そんなこと言ったって、お前たちと比べたら……話は合わんだろう」 「あら! 私が嫁いできた頃は、周りはみんなお婆さんだったわよ! それでも上手くやったものだわ」  ――母さんが嫁いで来た頃って、いつの時代だよ。  振り向かずに、胸の内で呟いていたが、 「まぁ、お前は適応力があるからな」  流石に長年の連れ合い、親父は地雷を踏まないように言葉を選んでいた。  母さんは、まぁそうねぇ……なんて応えながら、満更でもないようだ。
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